風景に書き込まれた歴史を読み解く

The Story Behind the Scenery

富士山の雪代


須走にある富士山グランドキャニオンの解釈は2通りある。富士火山地質図(第2版、2016)は「ほぼ連続的に重なる降下スコリア堆積物からなる」と書くが、小山真人(岩波新書、2013)は「噴火で降り積もったスコリアもあるが、大部分は泥流や雪代で運ばれたスコリアや砂と考えられる」としている。私は後者だと思う。

この泥流はスラッシュなだれとも呼ばれる。地元では雪代(ゆきしろ)と呼ばれている。斜面に積もった雪が大雨や暖気によって融けて、大量のスコリアとともに斜面を一気に下る現象である。北麓の富士吉田市は雪代がつくった広い緩斜面の上に成立している。

CwPTJ5sVIAAoQMA.jpg
斜交層理が2ヵ所で観察できる。上から降り積もったのではなく、流れが残した堆積物であることがわかる。
【“富士山の雪代”の続きを読む】

富士山の登山道は、2900年前の大崩壊の両側につけられている。

fujiice2_20161210150526137.png
横浜市内から遠望した@fujiyamao さんの富士山写真に加筆した。須走口登山道(白)は2900年前の崩壊を免れた硬い溶岩の上につけられている。いっぽう下山道とブルドーザー道(赤)は、崩壊後の噴火でできたスコリア斜面につけられている。

hokai.png
富士山は、スコリアが降り積もった東斜面が緩くて登りやすいはずだが、2900年前の崩壊後に作られたスコリア斜面は登りにくいため、崩壊し残った両側に登山道が付けられている。スコリア斜面は駆け下る砂走りとブルドーザー道に利用されている。

【“富士山の登山道は、2900年前の大崩壊の両側につけられている。”の続きを読む】

富士山の氷河(第3回調査報告)

fujiice4.png


fujigmap3.png
富士山宝永火口付近の地質図

fujiice2_2016111209223333c.png
御殿庭と宝永第三火口は氷河が残したモレーンである。ドローン写真

Cwj8CgaVQAAzPWG.jpg
モレーンの上はこういった風景が広がる。地上写真。東側、標高 2150 m。淡色の岩塊はモレーンから洗い出された。暗色の火山れきは1707年噴火のときに、ここに薄く降り積もった宝永スコリア。

P1070233.jpg
西側モレーンの上。1メートルの大きな白い岩塊。やや丸い。 標高 2120 m。

考察 私がモレーンだと思う部分を、富士火山地質図(第2版、2016)は宝永スコリアと西二ツ塚スコリア丘に塗っている。現地で地層断面を見ると、スコリア丘ではない。タフリングの可能性はあるが、それにしては火口が小さすぎる。富士山でタフリングは知られていない。こんな高所にはできそうもない。

もしタフリングなら、岩塊は空中を高く飛行して着弾したわけだから地表にインパクト構造(ボムサグ)があってしかるべきだが、一切ない。タフリングだとすると、最大傾斜の方向に細く排水しているのが説明しにくい。モレーンだとうまく説明できる。ハワイ島マウナケアのモレーンととてもよく似ている。

なぜ南側だけにあるか。宝永噴火のために森林限界が下がって地形が見やすい。御殿庭の下にもモレーンは続いているようだが、森に覆われるとよくわからなくなる。東は2900年前に崩壊して失われたが、北と西にはモレーンがあってもよさそうだ。

北と西の森林限界より上は、須走b期(5600年以降)の溶岩にモレーンは覆われてしまった。宝永火口北壁に露出する溶岩を富士火山地質図は須走b期に塗っているが、もっと古いとみられる。モレーンに覆われている。もし北と西の森のなかを調べてもモレーンがない場合は、宝永火口付近が窪地でそこだけで氷河が涵養されたと考える。

宝永山赤岩そのものがモレーンではないかと双眼鏡でじっくり観察したが、否定的結論だった。赤岩が富士山全体と不調和な形をしているのは、氷河に削られたからだろう。

【“富士山の氷河(第3回調査報告)”の続きを読む】

御殿場土石なだれから宝永スコリアまで


富士山は2900年前に御殿場側に崩壊した。現在の山頂の東半分が食われた。そのあと600年間、山頂からせっせと噴火してほぼ修復してもとの優美な円錐形にもどった。2300年前だ。そのあと2000年間、富士山は山腹から静かに溶岩を出した。そして1707年、宝永火口から大爆発した。 (水土野交差点の南西500メートルの道路工事現場)

富士山の簡略地質図

fuji4.png
宝永スコリアの等値線は50 cm

富士山のステージ区分
 須走d期 山腹割れ目噴火(青木ヶ原溶岩、宝永スコリア)
2300年前
 須走c2期 山頂からスコリア噴火で修復(湯船第二スコリア)
2900年前 東側崩壊、御殿場土石なだれ
 須走c1期 山腹からスコリア噴火(大室スコリア、大沢スコリア、砂沢スコリア)
3500年前
 須走b期 山頂から溶岩流出。現火山錐
5600年前
 須走a期 富士黒土層、アカホヤ火山灰を挟む。
8000年前
 富士宮期 大量の溶岩流出(三島溶岩、猿橋溶岩)と高い円錐火山体の形成
1万7000年前 
 星山期 五合目までの土台形成、姶良丹沢火山灰がスコリア層の中に挟まる。(小富士、小御岳)
10万年

【“富士山の簡略地質図”の続きを読む】

2900年前の富士山崩壊

東麓に御殿場土石なだれを展開させた2900年前の崩壊壁の位置を決めるはむずかしい。その後の噴火で崩壊凹地がほぼ埋められてしまったからだ。それでも、小富士から望むと、崩壊壁を特定することできる。須走口登山道は、崩壊し残った古い山体の溶岩を登って、2900年前から2200年前の間にできた新しい山体表層をつくる厚いスコリアを駆け下る。



DJI_0398.jpg

DJI_0420.jpg
【“2900年前の富士山崩壊”の続きを読む】

富士山の氷河(第2回調査報告)

gda3.png
モレーンは2900年前の山体崩壊から免れた。1707年宝永スコリアが50センチ以上堆積したところでは、急崖の下を除いて、地表に見えてない。

CwIi9k2UAAAf4Bb.jpg
宝永第三火口の東側にモレーンの地形が残っている。

maunakea.png
ハワイ・マウナケアのモレーンとそっくりだ。最低地点から排水してる。

富士山の氷河

背景 前回の氷期が2万年前に底を打ったのは昔から知られていた。2万年前は北アルプスのいたるところに氷河があった。涸沢カールや槍ヶ岳ホルンだ。もし富士山がそのときいまの高さだったなら氷河があった。しかし2万年前の富士山は、いまほど高くなかった疑いがある。富士山の標高3000メートル以上の地表すべては、5600年前から2200年前までの度重なる噴火の結果としてできた若い地層であることがわかっている。

いっぽう、2万年前に古富士泥流が何回か麓まで流れ降ったことも昔から知られていた。富士山の上に氷河が乗っていて、その下から噴火したから氷を融かして大泥流になったのではないかと何人もが想像した。私自身は、1990年ころ、都留市で沸騰パイプをもつ泥流堆積物を見た。

060202.jpg 060203.jpg
2万年前ころの氷期に富士山から発生して相模川を何回か下ったラハールの堆積物にも沸騰パイプが見られる。(都留市金井)

沸騰パイプは、地表に噴出したマグマの熱が氷を融かして泥流を発生させたと想像させる。しかし、これは間接的な証拠だ。富士山の上に氷河が乗っていた直接の証拠は知られていない。モレーンや迷子石などの堆積物やカールや羊背岩などの地形が直接の証拠になりうる。

馬の背の砂礫層 1707年噴火で富士山の横腹に開いた宝永火口の東縁にあたる馬の背に、淡色の砂礫層が現在の地表に沿って堆積していることに2016年10月26日に気づいた。これはモレーンではなかろうか。

CvsNFIvUEAEmQoy.jpg
宝永火口の東縁(ドローン写真)。砂礫層の上に登山道が付けられている。

CvsVZ__VMAA1NvH.jpg
宝永火口の東縁(地上写真その1)

CvsVdySUMAAcpPs.jpg
宝永火口の東縁(地上写真その2)。地表を真上から撮影。

CvwX6-aVUAAKyFE.jpg
宝永火口の東縁(地上写真その3)

Cv2bwekUkAE2R9a.jpg
宝永火口の西縁(ドローン写真)。薄いがこちら側にもあるようだ。

CvvqtH_UsAANh32.jpg
地理院地図

この砂礫層は、1707年スコリアの下で、宝永火口壁に露出する溶岩の上にある。産総研の富士火山地質図(第2版、2016)によると、宝永火口壁に露出する溶岩は須走b期の噴出物だという。5000年前ころだ。しかし十二薬師岩のダイク(多数)に貫かれているから、もっと古いのではないかと私は疑う。5000年前から現在までの短期間に、これほどの枚数のダイクが貫く割れ目噴火がこの方角にあったのだろうか。

2万年前から現在まで このような歴史を描くことができる。前回氷期の底を打った2万年前、富士山頂と宝永山の間はいまと違ってやや窪んでいた。そこに氷河が涵養されて縁辺部にモレーンが堆積した。5600年前から山頂噴火が続いて、裾野が宝永山まで届く優美な円錐形がいったんつくられた。しかし2900年前に山頂火口の西半分を残して東側斜面が崩壊した。その土砂は御殿場土石なだれとなって麓に届いた。宝永山赤岩はその崩壊からかろうじて免れた。崩壊した部分はその後の噴火によって修復されて、2300年前にいまの姿になった。300年前に宝永山のそばから噴火して宝永火口が生じた。

fujiice2.png
2万年前から現在に至る富士山の模式図。

CvsNL23VIAA4xY0.jpg
宝永山(赤岩)を手前に配して、宝永火口と富士山頂(ドローン写真)

解決すべきこと この砂礫層をモレーンだと考えることの難点は次である。
1)表層20センチを調べただけだが、泥が混じっていない。
2)石の色が同じで、発泡してない程度も同じだ。もしモレーンなら、いろんな色のいろんな発泡度の石が混じっているのが自然だ。
3)1メートルくらいの巨礫がひとつもない。
4)現在の地表に沿って堆積していることは、あまり古くないことを示唆する。

しかしモレーンでないとしたら、これはいったい何の堆積物だろうか。他のプロセス候補を挙げるのはむずかしい。

【“富士山の氷河”の続きを読む】

前橋高崎地域の自然史地図

maebashi0820b.png

関東平野の北西端に位置する前橋市と高崎市は、利根川がつくった扇状地の上に形成された都市である。東は赤城山、西は榛名山に囲まれたこの地域は、両火山の噴火と山体崩壊の影響を受けて土地の姿を大きく変容させてきた。2万4300年前からは吾妻川を介して、西に50 km離れた浅間山からの影響も受けるようになった。火山とともに歩んだこの地域の自然史を一枚の地図で表現した。

2016年9月26日発売、1部500円(税別)、ネット販売だと送料込みで600円。420 mm x 690 mm
▼ネット販売
・キプカスピリット(ヤフオクメルカリ
きつねの雑貨屋さん
▼店頭販売
・群馬大学生協荒牧店
・紀伊國屋書店前橋店
▼電子ファイル
高解像度と低解像度

大量部数の割引販売に応じます。コメント欄に書き込んでください。あるいは直接私に電子メールください。

草津白根山・鏡池の多角形土


本白根山の火口底にある鏡池には多角形土がある。寒冷地で見られる構造土の一種だ。

P1060457.jpg
地表で近づいて見ると、粗い角れきを排除して細かい砂と土だけが集まっているのがわかる。霜柱の凍結融解作用でできた。
【“草津白根山・鏡池の多角形土”の続きを読む】

2016年4月熊本地震

霧島山新燃岳火口

大館市大披のシラス段丘

安永四年(1775年)、大館市大披で、米代川に沿う小河川・引欠川の川岸から平安時代の家具や農機具が出土した。十和田湖の915年噴火によるシラス洪水による。


桜満開の大披集落。

P1060122.jpg
この崖が平安時代915年のシラス洪水が残した火山灰堆積物でできている。

Cg93F1zWgAAuB33.jpg
菅江真澄のスケッチによると、出土現場はいまの集落の北側のこのあたりのようだ。建物はコンポストセンター。

yone.png
毛馬内火砕流と米代川を下ったシラス洪水。平安時代、915年7月
【“大館市大披のシラス段丘”の続きを読む】

磐梯山1888年崩壊


磐梯山1888年7月15日の噴火は、早朝、北へ抜けた。山体崩壊である。

DJI_0116.jpg
五色岩などの美しい湖沼は、このときつくられた。
【“磐梯山1888年崩壊”の続きを読む】
次のページ

FC2Ad