風景に書き込まれた歴史を読み解く

The Story Behind the Scenery

浅間釜山と霧島御鉢はよく似ている。


浅間山の釜山スコリア丘(右)と霧島山の御鉢スコリア丘(左)のほぼ同一縮尺比較。よく似ている。釜山スコリア丘は360度ぐるりあるが、御鉢スコリア丘は溶結層が西側で欠けている。そこから大量の溶岩が流れ出た。いっぽう釜山スコリア丘は鬼押出し溶岩が北側基底を破って流れ下った。

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御鉢のグーグルマップ3D

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釜山のグーグルマップ3D

・浅間山1783年溶岩(鬼押出し)は3億トン(M4.5)
・霧島山1235年溶岩(御鉢)は2億トン(M4.3)。

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ドローンで見た浅間火口内壁


浅間山、2017年5月21日の火口底。手前に千トン岩。

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1783年噴火で鬼押出し溶岩は釜山スコリア丘の基底を破って北山腹を流れ下った。いま西之島でスコリア丘の基底を破って大量の溶岩が流れ広がっているの同じである。

1783年噴火で鬼押出し溶岩が北側にだけ流れ下ったのは釜山火口縁の北側が低かったから、は正確でない。釜山スコリア丘が乗った前掛火口縁の北側が低かったから、が正確だ。前掛火口は1108年噴火でできた。舞台溶岩は北側にだけ流れている。そのときから北側が低かった。いまも北側が低い。

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ドローンで撮影した黒岩


プリンスランドロータリー

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トギホリ石

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サンランド管理事務所

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こじはん石



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スマートフォンを手にして野外を歩こう

スマートフォンでグーグルマップを開いてください。下のマップ画面右上の四角をクリックするとグーグルマップで開きます。自分がいる場所が青丸で表示されます。近くのポイントをクリックすると写真や説明が表示されます。好きな地点を目指してください。徒歩でも車でも。


浅間山の1783年噴火。鎌原土石なだれで押し流されてきた黒岩を探そう。



2万4300年前に浅間山が大きく崩壊した。赤岩と流れ山を探そう。



前橋高崎地域の自然史を知ろう。





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屏風ヶ浦の海食崖から読み取る自然史

千葉県の犬吠埼から刑部(ぎょうぶ)岬まで、太平洋に面して高さ50メートルの断崖が10キロに渡って続いている。屏風ヶ浦と呼ばれる海食崖である。太平洋の荒波で下総台地が削られて生じた。

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屏風ヶ浦の海食崖。遠景は犬吠埼。

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刑部岬の向こうに九十九里浜が見える。

この海食崖に現れた地層を刑部岬の近くで観察してみよう。最上部5メートルは関東ローム層からなる。風で運ばれてきた土埃が草地に少しずつ降り積もってできた地層だ。その下に黄褐色の砂層がある。厚さは20メートル。香取層という。地層の縞模様がうねっていることから、いまの九十九里浜のような砂浜でできたことがわかる。12万年ほど前にここにあった砂浜だ。香取層の下には灰色の泥層がある。これは飯岡層という。深い海の底に堆積した地層で、屏風ヶ浦の下30メートルをつくる。最上部の年代は70万年前だ。

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高さ50メートルの海食崖に露出する地層

海食崖に露出したこの3枚の地層から、この地域で過去にどのような自然の営みがあったかを復原できる。それは、氷河性の海水準変動と土地の隆起を考察することによって可能となる。

12万年前は、いまと同じような暖かい時代だった。地球はそのあと寒冷化して、大陸に降った雪が氷河となって海に戻らなくなり、海面がしだいに低下し始めた。海岸が沖に遠のいて、干上がった海底が露出して砂浜ができた。海面は最終的にマイナス100メートルまで下がった。そのときの海岸線はいまより10キロほど沖合にあった。千葉県はいまよりずっと広かったのだ。

ここに露出する厚さ20メートルの香取層は、海が退く過程で、犬吠埼と刑部岬を結ぶ線が砂浜だった1000年くらいの短い時間で堆積した思われる。海が沖に遠のいて完全に陸化すると、地表に植物が生えて砂の移動は終わり、風で運ばれてきた土埃がそこに捕獲されて関東ローム層が堆積した。

前回の氷期は2万年前に底を打った。地球が温まるにつれて氷河から融け出した水が海に戻って海面を上昇させた。波浪による浸食が内陸に向かって進むに従って高い海食崖が現れた。海が退いていたあいだに土地が隆起していたからだ。いまの海面は12万年前と同じ位置にあるから、海食崖の高さ50メートルが12万年間に隆起した量だ。1万年あたり4メートル。ほぼ同じ時間で堆積した関東ローム層の堆積速度の10倍速度だ。

12万年前、飯岡層が海面に現れる前も、ここの海底は同じような速度で隆起していたのだろう。水深1000メートルだったとすると、60万年かけて海底が海面まで上昇するのに要する隆起速度は、1万年あたり16メートルになる。ちょっと大きいな。何かが考え足りていないのだろう。

オーシャンエントリーを目指す


2017年3月2日

富士山の雪代


須走にある富士山グランドキャニオンの解釈は2通りある。富士火山地質図(第2版、2016)は「ほぼ連続的に重なる降下スコリア堆積物からなる」と書くが、小山真人(岩波新書、2013)は「噴火で降り積もったスコリアもあるが、大部分は泥流や雪代で運ばれたスコリアや砂と考えられる」としている。私は後者だと思う。

この泥流はスラッシュなだれとも呼ばれる。地元では雪代(ゆきしろ)と呼ばれている。斜面に積もった雪が大雨や暖気によって融けて、大量のスコリアとともに斜面を一気に下る現象である。北麓の富士吉田市は雪代がつくった広い緩斜面の上に成立している。

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斜交層理が2ヵ所で観察できる。上から降り積もったのではなく、流れが残した堆積物であることがわかる。
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富士山の登山道は、2900年前の大崩壊の両側につけられている。

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横浜市内から遠望した@fujiyamao さんの富士山写真に加筆した。須走口登山道(白)は2900年前の崩壊を免れた硬い溶岩の上につけられている。いっぽう下山道とブルドーザー道(赤)は、崩壊後の噴火でできたスコリア斜面につけられている。

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富士山は、スコリアが降り積もった東斜面が緩くて登りやすいはずだが、2900年前の崩壊後に作られたスコリア斜面は登りにくいため、崩壊し残った両側に登山道が付けられている。スコリア斜面は駆け下る砂走りとブルドーザー道に利用されている。

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富士山の氷河(第3回調査報告)

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富士山宝永火口付近の地質図

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御殿庭と宝永第三火口は氷河が残したモレーンである。ドローン写真

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モレーンの上はこういった風景が広がる。地上写真。東側、標高 2150 m。淡色の岩塊はモレーンから洗い出された。暗色の火山れきは1707年噴火のときに、ここに薄く降り積もった宝永スコリア。

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西側モレーンの上。1メートルの大きな白い岩塊。やや丸い。 標高 2120 m。

考察 私がモレーンだと思う部分を、富士火山地質図(第2版、2016)は宝永スコリアと西二ツ塚スコリア丘に塗っている。現地で地層断面を見ると、スコリア丘ではない。タフリングの可能性はあるが、それにしては火口が小さすぎる。富士山でタフリングは知られていない。こんな高所にはできそうもない。

もしタフリングなら、岩塊は空中を高く飛行して着弾したわけだから地表にインパクト構造(ボムサグ)があってしかるべきだが、一切ない。タフリングだとすると、最大傾斜の方向に細く排水しているのが説明しにくい。モレーンだとうまく説明できる。ハワイ島マウナケアのモレーンととてもよく似ている。

なぜ南側だけにあるか。宝永噴火のために森林限界が下がって地形が見やすい。御殿庭の下にもモレーンは続いているようだが、森に覆われるとよくわからなくなる。東は2900年前に崩壊して失われたが、北と西にはモレーンがあってもよさそうだ。

北と西の森林限界より上は、須走b期(5600年以降)の溶岩にモレーンは覆われてしまった。宝永火口北壁に露出する溶岩を富士火山地質図は須走b期に塗っているが、もっと古いとみられる。モレーンに覆われている。もし北と西の森のなかを調べてもモレーンがない場合は、宝永火口付近が窪地でそこだけで氷河が涵養されたと考える。

宝永山赤岩そのものがモレーンではないかと双眼鏡でじっくり観察したが、否定的結論だった。赤岩が富士山全体と不調和な形をしているのは、氷河に削られたからだろう。

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御殿場土石なだれから宝永スコリアまで


富士山は2900年前に御殿場側に崩壊した。現在の山頂の東半分が食われた。そのあと600年間、山頂からせっせと噴火してほぼ修復してもとの優美な円錐形にもどった。2300年前だ。そのあと2000年間、富士山は山腹から静かに溶岩を出した。そして1707年、宝永火口から大爆発した。 (水土野交差点の南西500メートルの道路工事現場)

富士山の簡略地質図

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宝永スコリアの等値線は50 cm

富士山のステージ区分
 須走d期 山腹割れ目噴火(青木ヶ原溶岩、宝永スコリア)
2300年前
 須走c2期 山頂からスコリア噴火で修復(湯船第二スコリア)
2900年前 東側崩壊、御殿場土石なだれ
 須走c1期 山腹からスコリア噴火(大室スコリア、大沢スコリア、砂沢スコリア)
3500年前
 須走b期 山頂から溶岩流出。現火山錐
5600年前
 須走a期 富士黒土層、アカホヤ火山灰を挟む。
8000年前
 富士宮期 大量の溶岩流出(三島溶岩、猿橋溶岩)と高い円錐火山体の形成
1万7000年前 
 星山期 五合目までの土台形成、姶良丹沢火山灰がスコリア層の中に挟まる。(小富士、小御岳)
10万年

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2900年前の富士山崩壊

東麓に御殿場土石なだれを展開させた2900年前の崩壊壁の位置を決めるはむずかしい。その後の噴火で崩壊凹地がほぼ埋められてしまったからだ。それでも、小富士から望むと、崩壊壁を特定することできる。須走口登山道は、崩壊し残った古い山体の溶岩を登って、2900年前から2200年前の間にできた新しい山体表層をつくる厚いスコリアを駆け下る。



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富士山の氷河(第2回調査報告)

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モレーンは2900年前の山体崩壊から免れた。1707年宝永スコリアが50センチ以上堆積したところでは、急崖の下を除いて、地表に見えてない。

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宝永第三火口の東側にモレーンの地形が残っている。

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ハワイ・マウナケアのモレーンとそっくりだ。最低地点から排水してる。

富士山の氷河

背景 前回の氷期が2万年前に底を打ったのは昔から知られていた。2万年前は北アルプスのいたるところに氷河があった。涸沢カールや槍ヶ岳ホルンだ。もし富士山がそのときいまの高さだったなら氷河があった。しかし2万年前の富士山は、いまほど高くなかった疑いがある。富士山の標高3000メートル以上の地表すべては、5600年前から2200年前までの度重なる噴火の結果としてできた若い地層であることがわかっている。

いっぽう、2万年前に古富士泥流が何回か麓まで流れ降ったことも昔から知られていた。富士山の上に氷河が乗っていて、その下から噴火したから氷を融かして大泥流になったのではないかと何人もが想像した。私自身は、1990年ころ、都留市で沸騰パイプをもつ泥流堆積物を見た。

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2万年前ころの氷期に富士山から発生して相模川を何回か下ったラハールの堆積物にも沸騰パイプが見られる。(都留市金井)

沸騰パイプは、地表に噴出したマグマの熱が氷を融かして泥流を発生させたと想像させる。しかし、これは間接的な証拠だ。富士山の上に氷河が乗っていた直接の証拠は知られていない。モレーンや迷子石などの堆積物やカールや羊背岩などの地形が直接の証拠になりうる。

馬の背の砂礫層 1707年噴火で富士山の横腹に開いた宝永火口の東縁にあたる馬の背に、淡色の砂礫層が現在の地表に沿って堆積していることに2016年10月26日に気づいた。これはモレーンではなかろうか。

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宝永火口の東縁(ドローン写真)。砂礫層の上に登山道が付けられている。

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宝永火口の東縁(地上写真その1)

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宝永火口の東縁(地上写真その2)。地表を真上から撮影。

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宝永火口の東縁(地上写真その3)

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宝永火口の西縁(ドローン写真)。薄いがこちら側にもあるようだ。

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地理院地図

この砂礫層は、1707年スコリアの下で、宝永火口壁に露出する溶岩の上にある。産総研の富士火山地質図(第2版、2016)によると、宝永火口壁に露出する溶岩は須走b期の噴出物だという。5000年前ころだ。しかし十二薬師岩のダイク(多数)に貫かれているから、もっと古いのではないかと私は疑う。5000年前から現在までの短期間に、これほどの枚数のダイクが貫く割れ目噴火がこの方角にあったのだろうか。

2万年前から現在まで このような歴史を描くことができる。前回氷期の底を打った2万年前、富士山頂と宝永山の間はいまと違ってやや窪んでいた。そこに氷河が涵養されて縁辺部にモレーンが堆積した。5600年前から山頂噴火が続いて、裾野が宝永山まで届く優美な円錐形がいったんつくられた。しかし2900年前に山頂火口の西半分を残して東側斜面が崩壊した。その土砂は御殿場土石なだれとなって麓に届いた。宝永山赤岩はその崩壊からかろうじて免れた。崩壊した部分はその後の噴火によって修復されて、2300年前にいまの姿になった。300年前に宝永山のそばから噴火して宝永火口が生じた。

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2万年前から現在に至る富士山の模式図。

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宝永山(赤岩)を手前に配して、宝永火口と富士山頂(ドローン写真)

解決すべきこと この砂礫層をモレーンだと考えることの難点は次である。
1)表層20センチを調べただけだが、泥が混じっていない。
2)石の色が同じで、発泡してない程度も同じだ。もしモレーンなら、いろんな色のいろんな発泡度の石が混じっているのが自然だ。
3)1メートルくらいの巨礫がひとつもない。
4)現在の地表に沿って堆積していることは、あまり古くないことを示唆する。

しかしモレーンでないとしたら、これはいったい何の堆積物だろうか。他のプロセス候補を挙げるのはむずかしい。

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前橋高崎地域の自然史地図

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関東平野の北西端に位置する前橋市と高崎市は、利根川がつくった扇状地の上に形成された都市である。東は赤城山、西は榛名山に囲まれたこの地域は、両火山の噴火と山体崩壊の影響を受けて土地の姿を大きく変容させてきた。2万4300年前からは吾妻川を介して、西に50 km離れた浅間山からの影響も受けるようになった。火山とともに歩んだこの地域の自然史を一枚の地図で表現した。

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