
烏川を遡って高崎市倉渕町を二度上峠に向かって進むと、途中左手に鬼神岩が現れます。下仁田の
荒船山と似たような地形です。どちらも第三紀の火山岩からなりますが、ほぼ水平で傾斜していません。第三紀以降、この地域の土地は隆起したがほとんど傾いていないことがわかります。
高崎から二度上峠を越えると、いままでの山道とは打って変わった平坦地になって快適なドライブが楽しめる。ここは浅間牧場の北部だ。北軽井沢に到着する直前、浅間大滝の手前で、道路の左に熊川の清流が現れる。

その水辺によく成層した粘土層が露出している。これは、1万5800年前に平原火砕流の堆積物がこの地域を埋め尽くしたあと生じた水域の下に堆積した地層だ。浅間大滝駐車場にも同様の地層がかつて露出し、その中に嬬恋軽石が挟まれていた。したがって、平原火砕流の噴火のあとすぐに、おそらく数十年程度でできた地層だと解釈される。

戦場ヶ原からみた三岳溶岩ドーム。ほぼ同じサイズの溶岩ドームが南北に二つ並んでいる(前三岳と奥三岳)。ピークは一段高い地表の上に盛り上がった北側の奥三岳にある。日光白根山を除くと、奥日光でもっとも新しい火山だ。

深い緑のシラビソにおおわれた円山(まるやま)溶岩が、紅葉したカラマツの黄金色から浮き上がって見える。円山溶岩が前掛山の西斜面を下ったのは3世紀末のC噴火のときだったと言われることがあるが、確かではない。
利根川を下った鎌原熱泥流は、野田で江戸川に入って江戸まで届いた。たくさんの遺体が流れ着いた葛飾区と江戸川区のいくつかの寺に、供養塔がいまも残っている。

葛飾柴又の帝釈天は大勢の観光客でにぎわう。ここは題経寺という大きなお寺だが、その宝生院に供養塔がある。北総線の新柴又駅のすぐ西側だ。葛飾区柴又5-9。碑面には天明三年七月十八日と刻まれている。災害からわずか10日後の日付だ。

帝釈天から江戸川の堤に出ると、このような景色が広がっている。

題経寺から3キロ下った江戸川区東小岩2-24の善養寺にも供養塔が残っている。江戸川病院のすぐ南。立派な枝振りの松がある寺だ。

槍ヶ岳(3180メートル)は、槍沢・飛騨沢・千丈沢・天上沢の四方から氷河が削ってつくった尖塔である。このような地形をホルンという。スイスのマッターホルンが有名だ。絶壁から崩れ落ちた岩石が尖塔の基部に崖錐(がいすい)斜面を形成している。傾斜35-40度の直線的な縦断面をなす。この角度を安息角という。
氷河がつくった谷の横断面はU字になる(写真右)。その谷頭部にはカールと呼ばれる半円形の窪地ができる。緩傾斜の谷底には氷河が運んだ土砂が土手がみられる。これをモレーンという。赤い屋根の山小屋は槍沢カールの中につくられたモレーンをうまく利用している。

U字谷の中に入り込むと、2万年前にここをすっかり埋めてゆっくりと流れ下った氷河を立体的に体感することができる。この谷の中をジグザグを切って登る登山者は、広い空による開放感のため疲れることを知らない。
飛騨沢の右岸、標高2550メートル地点に、植生が失われてモレーンが露出した場所がある(写真右)。灰色をした細粒子の中に大きな角張った岩がたくさんみえる。大小さまざまの粒を含むことがモレーンの特徴である。氷河の下では、粒子のふるい分け作用が水流のようには働かない。

地衣類と風化皮膜でびっしりと覆われた多数の岩塊がU字谷の中で斜面をつくっている。風化皮膜の厚さは地表露出時間を知る尺度になる。上部に植生が侵入していることからも、この斜面が現在は成長していないことがわかる。かなり古い時代からこの地表は更新されていないようだ。このような斜面を岩塊流あるいは岩塊斜面というが、その成因と意味はよくわかっていない。
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浅間牧場で、夏休みの自由研究のお手伝いを大学生がします。小学生のお子さまといっしょにおでかけください。8月9日から13日まで。
・コーラ噴火の研究。
・弁当パックで浅間山の立体模型をつくる。200円。
・浅間山の噴火しらべ。地質図500円。
印刷用ファイル(2.3MB)

火山館から湯の平を越えて、鬼押出し溶岩の西側地域を調査しました。ここには、山頂火口から226年前に流出した溶岩の地形がそのまま残っています。当時の噴火をダイナミックに想像することができる稀有な場所です。

2007年7月に印刷した2万5000分の1地質図には、鬼押出し溶岩の西側に吾妻火砕流の領域を細長く設けました。溶岩樹型にあるのだからここにあるはずという論理でした。行ってみたら、標高2105メートル地点に確かにありました。
鬼押出し溶岩に沿って細く分布することも確かめました。300メートル西に移動すると、特徴的な黄色岩片がたくさんまじる1783年軽石が地表に露出します。峰の茶屋に軽石断面で、吾妻火砕流の層位を示すピンク色火山灰の下に露出する部分です。つまり、ここの地表は吾妻火砕流に覆われなかったことがわかります。

釜山スコリア丘が鬼押出し溶岩に破壊されて東西に分断されたように地質図では表現しました。山頂火口から流れ出したばかりの鬼押出し溶岩の流れ中央部にも高まりがあって、それも釜山スコリア丘の残がいだと思っていました。しかしよく観察すると、それらは既存の前掛山凸部だと思われます。巨大なスコリアラフトには見えません。古い溶岩のように見えます。ここを鬼押出し溶岩が通過したのは確かですが、急斜面のためここに留まることなくすべて流れ下ってしまったようです。地質図を改訂します。

1783年8月の浅間押しをギリギリ免れた押切端(おしぎっぱ)の森を流れる地蔵川。夏休みになると、この涼しい小川で子どもたちが水遊びに興じる。地蔵川は1108年8月の追分火砕流が残した地層の上を南から北に向かって流れる。地層の厚さは10メートルほど。河床は追分火砕流の中にほとんど留まるが、ふれあい広場の西の
地点69では追分火砕流の基底(すなわち平安時代の地表面)を掘り込んで、カラフル火山灰まで達している。
数時間前にワシントン地下鉄レッドラインの地上部分で追突事故が発生して、多くの死傷者が出たそうです。私は半年間オレンジラインをよく利用しました。そのとき、この地下鉄の運転手が実は運転していないことに気づきました。以下、2009年2月24日の日記から。
スミソニアンの同僚が「メトロの運転手は運転していない。運転は司令室のコンピュータがしている」と言っていたのを思い出して、きょうの帰りに運転席の後ろに陣取って観察しました。彼が言ったことは本当でした。運転手は運転していませんでした。
彼女がしていたのは、ドアの開閉だけ。列車が止まると窓から顔を出して後ろを見てドアを開ける。ドアを閉めると列車が動き出す。列車の動きと彼女の動作に因果関係はまったく認められませんでした。彼女はドア閉めボタンを押しただけなのに、彼女はまだ運転席に着席していないのに、電車が動き出しました。
運転席は、進行方向右側にあります。右側通行ですから、線路の両脇にホームがある駅はよいのですが、島ホームの駅はたいへんです。止まると、急いで左側に行って窓から顔を出してドアの開け閉めをします。そして急いで運転席に戻ります。ちょっと滑稽です。こうして彼女が運転席に戻る前に、列車が動き出したのです。動かぬ証拠です。
コンピュータ制御だから走行がスムーズでなくて、ぎくしゃくするのでしょう。こう考えると、人間の能力はなかなか捨てたもんじゃないな。人間に運転させないのはどんな理由からなのだろうか。人間に運転させて、万一のときにコンピュータで停めるATSのほうが優れたシステムだと思う。
列車の最後尾に車掌はいません。ワンマン走行です。

群馬では、いま麦を刈り取って稲作の準備に取り掛かっています。田植えまでにはもうしばらくかかって、6月下旬になります。近隣の新潟や長野と比べると、1ヵ月以上遅くなります。刈り取った麦に火を入れてあったので、農夫にその理由を尋ねました。理由を二つ教えてくれました。ひとつは雑草を殺す効果。もうひとつは「浮いちゃうんだよね」とのこと。そのまま水田にすると、麦が水面に浮いてしまうのだそうです。高崎市大類。

残雪の山を背景にして、里では田植えが始まる。新潟では、冬の多雪がおいしい米をつくる。左から、火打山(2462メートル)、焼山(2400メートル)。焼山は、3000年前に誕生したばかりの若い火山である。
黒斑山と前掛山に挟まれた三日月型の平地を、湯の平と言う。2万4300年前に黒斑山が東に崩壊して生じた。標高は2000メートルで、浅間山の山頂火口から2キロしか離れていない。

湯の平は、平安時代の1108年8月、追分火砕流にすっかり埋め立てられた経験をもつ。火砕流が残した堆積物の厚さは5メートルほどだ(写真左、右手が前掛山)。その表面に広がる笹原には、20世紀に繰り返し起こったブルカノ式爆発で山頂火口から飛来した火山弾がつくったクレーターがたくさんみつかる(写真右)。
窪地の核心部には小さな湿原がある。クレーターに水が溜まり、小さな池がいくつも生じている。写真左の遠景は、剣が峰と円山溶岩。円山溶岩は3世紀末だと言われることがあるが、確かではない。写真右は前掛山。優美な円錐形をなすが、左側(北側)に余分な出っ張りがある。1783年噴火で火口内北寄りに生じた釜山スコリア丘が、鬼押出し溶岩の流出によって掃き寄せられた部分である。

千曲市の屋代遺跡群地之目(じのめ)遺跡の壁面に露出した平安砂層。2009年4月28日撮影。遺跡は、この砂層が埋めた水田面を発掘している。888年6月20日に千曲川を下った大洪水が残した地層であることが、類聚三代格の仁和四年五月二八日条の記述からわかる。
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