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風景に書き込まれた歴史を読み解く

The Story Behind the Scenery

磐梯山のドローン空撮


磐梯山頂と1888年崩壊壁。

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1888年崩壊凹地と土砂がせき止めてつくった檜原湖、小野川湖、秋元湖。磐梯山頂に大勢の登山者が見える。

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逆断層のある縞々。
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磐梯山の球面パノラマ


1888年7月15日に崩壊した磐梯山。130年が経過したいま、崩壊壁の崖錐斜面の成長は緩やかになって緑の侵入を許している。檜原湖などの裏磐梯にある湖沼群はこの崩壊土砂でせき止められて生じた。現在の双耳峰は、磐梯山頂(右、1816m)と櫛ヶ峰(左、1636m)。両峰の間に猪苗代湖が見える。

十和田湖のドローン空撮


御門石は十和田湖の水面にわずかだけ顔を出す溶岩ドームだ。1万5000年前より新しいが、いつの噴火でできたかわかっていない。湖岸のピークは御鼻部山。

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接近すると、複数の鵜が休んでいた。

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地質図と絵本で表現した物語

D80tWC5UcAAgP6W.jpg 福音館書店から2019年6月12日発行

火山がいつどんな噴火をしたか明らかにすることは、究極的には、できない。できるのは、多くの観察をして、それらすべてを満たす合理的な物語を組み立てることまでだ。地質図を描くと、組み立てた物語が時空間で矛盾しないかを検証できる。

物語を絵本にすると、細部まで徹底的に検証することになる。物語にリアリティが注入されて、事実に肉薄していく。地質図と絵本で表現された物語は、よく反証されうる。反証に耐えるかどうかでその物語の信ぴょう性がはかられる。再現可能性は満たさないが、反証可能性は満たす。半分科学だ。

過去の噴火を復元したいときに観察すべきは地層と地形。それから文字記録だ。噴出物の化学組成を調べてもあまり役に立たない。

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山肌を前進した鬼押出し溶岩(江戸時代、1783年8月)

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村に迫る追分火砕流(平安時代、1108年8月30日)

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津南の地形

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河岸段丘で有名な津南の地形は次のようにしてできた。中津川の広い河床が40万年かけて200メートル隆起した。隆起速度は0.5mm/年である。河床の上に40万年かけてローム層が20メートル堆積した。堆積速度は0.05mm/年である。隆起速度よりひと桁小さい。最上部50センチはクロボクである。

段丘が一段ではなく複数段あるのは気候変化で説明できる。氷期と温暖期がおよそ12万年周期で繰り返した。氷期は苗場山と鳥甲山から森林が失われて斜面崩壊が頻繁に起こり、大量の土砂が中津川に供給された。

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高位段丘を覆う厚いローム層。ニュー・グリーンピア津南。

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柳井沼の球面パノラマ


1783年8月5日10時、前日から柳井沼に流入していた鬼押出し溶岩が水蒸気爆発を起こし、そこにあった1億トンの土石が北に向かって鎌原村を襲った。浅間園から見晴らし台に向かう遊歩道は、そうして拡大した柳井沼のくぼ地の縁につけられている。だから見晴らしがよい。後続の鬼押出し溶岩が水蒸気爆発のあとも柳井沼に流入して、深さ200メートルに達したくぼ地を半ば埋め立てた。最終的にはここからさらに2キロ流れて先端は5.8キロ地点に達した。

御殿庭は1707年噴出物か

氷河が残したモレーンだと私が3年前に認定した御殿庭と宝永第三火口が、1707年噴火でつくられた地形だとする発表が、2019年5月27日に幕張で二つあった。静岡大学の小山真人さんと富士山科学研究所の馬場章さんたちだ。

・小山(2019)1707年富士山宝永噴火の火口と推移についての新たな作業仮説
・馬場ほか(2019)富士火山、宝永山の形成過程の考察

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小山(2019)

これらの地形と堆積物(2016年と2017年に私が撮影した現地写真、大画面閲覧用)が300年前の噴火で、わずか数日でできたとはとても考えにくい。 御殿庭モレーンからの排水ロだと私が認めた谷地形を、小山(2019)は噴火割れ目、馬場ほか(2019)は浸食谷だとしている。

これら二つの発表が主張するところが正しければ、氷河地形であるとする私の解釈は否定される。しかし、次の点で彼らの解釈は疑わしい。御殿庭と第三火口は一列をなさず並列している。噴火割れ目が二列になるので同じ噴火で形成されたとは考えにくい。また火口近傍相(アグルチネートなど)がない。浸食谷だとすると、いったいいつどうやって形成されたのだろうか。ガリー(雨裂)なら、どうしてここだけにできたのか説明できない。

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須走口、幻の滝付近で2017年10月1日撮影

御殿庭と第三火口だけでなく、宝永山(赤岩)も1707年噴出物だという。須走口、幻の滝付近に露出するこの1707年スコリア/軽石のいったいどの層準にそれらがあたると考えるのだろうか。

もし宝永山(赤岩)や御殿庭の凸地形が1707年噴火でできたのなら、水蒸気マグマ爆発でできたタフリングだということになろう。それらの遠方相がプリニー式降下スコリア/軽石の間に挟まれているべきである。しかし、火口から4キロほど離れた御殿場口や須走口で私が観察した限りでは、そのような地層は存在しない。すべてプリニー式降下物の積み重なりからなる。30年以上昔になるが、火口にもっと近い幕岩で観察した厚いスコリア層の中にもそのような噴火を思わせる地層は認められなかった。1707年降下スコリア/軽石の間に地層が挟まっている写真が提示されない限り、これらの地形が1707年にできたとする説は想像の産物だと言わざるを得ない。

宝永山(赤岩)について、2016年に産総研が出した富士火山地質図(第2版)に何と書いてあるか調べたが、説明書に記載を見つけられなかった。地図にはH-udとラベリングしてある。星山期の未区分噴出物の意味だ。10万年前から2万年前までのどこかで噴出した。

御殿庭はオリジナルの地形を比較的よく保存しているが、宝永山(赤岩)は大きく浸食されて、とくに東側がすべて失われている。宝永山(赤岩)が1707年噴出物でできていると主張するひとたちは、この大規模浸食がいつどのように起きたかを説明する義務を負っている。私は氷河が削ったと考えている。

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うさはかせのドローン写真

1707年スコリア(黒)が宝永山の東側急崖を覆っている。この急崖は1707年スコリアが降ったときにはすでにあったということだ。新説によると、宝永山は9日の間に積もって崩れるをしないとならない。とてもむずかしい。そして、崩れた先の地表に該当土砂は認められない。1707年スコリア斜面が広がっている。

秋山郷

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苗場山と秋山郷上ノ原。

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鳥甲山。中津川を挟んで苗場山の対岸にある火山。

津南の河岸段丘(地上写真とドローン写真の比較)

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津南町石落としの地上写真。砂礫からなる魚沼層群の上に、苗場山の溶岩が重なる。溶岩が流れたのは30万年前。そのあと中津川が330メートル深く浸食した。隆起速度は1ミリ/年だ。


ドローン写真。溶岩の表面が見える。もう少し高度を上げて撮影すれば、段丘平坦面の上に流れ広がった溶岩の末端崖がはっきりする。

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川の展望台からの地上写真。中津川は、信濃川に合流する津南で顕著な河岸段丘をつくっている。

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ドローン写真。緑の林で強調された段丘崖だけでなく、水田が広がる段丘面も見える。

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津南の球面パノラマ


石落とし

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川の展望台

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秋山郷上ノ原

姥ヶ原から見た浅間山


つつじの湯の上にある定番撮影スポット。姥ヶ原は何回もの氷期を経験した合成扇状地からなる。凍結融解のためにうねうねとした波状地形をなす。高原キャベツ栽培が盛んだ。

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前掛火口の中に1783年噴火でできた釜山スコリア丘がよくわかる。鬼押出し溶岩が流れ下った斜面は直線的で前掛山と同一化している。
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湯釜と姥ヶ原


湯釜

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姥ヶ原(浅間山、四阿山、草津白根山)

黒川温泉の屏風岩

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黒川温泉の屏風岩。2016年4月熊本地震で崩落する前(2011年10月)と後(2019年3月)の比較。これが阿蘇の火砕流であることは見たところ間違いないが、阿蘇4か阿蘇3かは、わからない。

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眉山崩壊と土石なだれ


島原市の眉山は、1792年5月21日の地震で崩壊して土石なだれを発生させた。有明海を挟んで対岸を津波が襲って1万5000人の死者が出た。島原大変肥後迷惑としてよく知られる。有明海に浮かぶ九十九島(つくもじま)はそのときつくられた流れ山である。眉山の背後は平成新山。
 この地震の3ヵ月前の2月10日から雲仙岳が噴火して新焼溶岩を流した。桜の季節に住民が新焼溶岩の前で花見を楽しんだという。このため眉山崩壊は火山災害として語られることが多いが、じつは地震災害である。新焼溶岩とその噴火口は崩壊していない。

関門海峡


下関側から。対岸は門司。
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