風景に書き込まれた歴史を読み解く

The Story Behind the Scenery

屏風ヶ浦の海食崖から読み取る自然史

千葉県の犬吠埼から刑部(ぎょうぶ)岬まで、太平洋に面して高さ50メートルの断崖が10キロに渡って続いている。屏風ヶ浦と呼ばれる海食崖である。太平洋の荒波で下総台地が削られて生じた。

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屏風ヶ浦の海食崖。遠景は犬吠埼。

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刑部岬の向こうに九十九里浜が見える。

この海食崖に現れた地層を刑部岬の近くで観察してみよう。最上部5メートルは関東ローム層からなる。風で運ばれてきた土埃が草地に少しずつ降り積もってできた地層だ。その下に黄褐色の砂層がある。厚さは20メートル。香取層という。地層の縞模様がうねっていることから、いまの九十九里浜のような砂浜でできたことがわかる。12万年ほど前にここにあった砂浜だ。香取層の下には灰色の泥層がある。これは飯岡層という。深い海の底に堆積した地層で、屏風ヶ浦の下30メートルをつくる。最上部の年代は70万年前だ。

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高さ50メートルの海食崖に露出する地層

海食崖に露出したこの3枚の地層から、この地域で過去にどのような自然の営みがあったかを復原できる。それは、氷河性の海水準変動と土地の隆起を考察することによって可能となる。

12万年前は、いまと同じような暖かい時代だった。地球はそのあと寒冷化して、大陸に降った雪が氷河となって海に戻らなくなり、海面がしだいに低下し始めた。海岸が沖に遠のいて、干上がった海底が露出して砂浜ができた。海面は最終的にマイナス100メートルまで下がった。そのときの海岸線はいまより10キロほど沖合にあった。千葉県はいまよりずっと広かったのだ。

ここに露出する厚さ20メートルの香取層は、海が退く過程で、犬吠埼と刑部岬を結ぶ線が砂浜だった1000年くらいの短い時間で堆積した思われる。海が沖に遠のいて完全に陸化すると、地表に植物が生えて砂の移動は終わり、風で運ばれてきた土埃がそこに捕獲されて関東ローム層が堆積した。

前回の氷期は2万年前に底を打った。地球が温まるにつれて氷河から融け出した水が海に戻って海面を上昇させた。波浪による浸食が内陸に向かって進むに従って高い海食崖が現れた。海が退いていたあいだに土地が隆起していたからだ。いまの海面は12万年前と同じ位置にあるから、海食崖の高さ50メートルが12万年間に隆起した量だ。1万年あたり4メートル。ほぼ同じ時間で堆積した関東ローム層の堆積速度の10倍速度だ。

12万年前、飯岡層が海面に現れる前も、ここの海底は同じような速度で隆起していたのだろう。水深1000メートルだったとすると、60万年かけて海底が海面まで上昇するのに要する隆起速度は、1万年あたり16メートルになる。ちょっと大きいな。何かが考え足りていないのだろう。

石巻市立大川小学校そばに津波が残した堆積物

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厚さ12センチほどの砂からなる。粗い成層構造がみえる。厚さは、場所によってかなり変化する。遠景は、左が大川小学校。右の白い建物が診療所。

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北上川を挟んだ対岸の釣石神社にみられたマッドクラック。下から上に向かって規則的に細かくなる。砂から泥に変わる。最下部には礫もみられる(右の写真の乾いた表層部10センチ)。

GPSと写真の連動

GPSでログをとり、撮影したデジカメ写真をそのルート上に自動的に載せた地図が、迅速につくれるようになった。つくった地図を直ちに公開して情報共有できるようになった。そのために使う各種アプリケーションを以下で紹介する。すべて無料サービスである。

EveryTrail Kyoto walking 2010
・GPSルートを迅速に公開する。
・写真をルート上に迅速に公開する。
・ルートや写真に説明を付す。
カシミール3D
・GPSログを吸い上げる。
・ネットにつながっていなくても地図表示できる。
同デジカメプラグイン
・Jpegファイルのexifに緯度経度を付与する。
Picasaウェブアルバム 京都写真2010
・地図上に写真を貼り付けて迅速に公開する。
GPS Visualizer
・GPSログをGoogleEarthで使えるkml形式に変換する。
Google Maps 京都散歩2010
・GPSログをインポートする。(写真の自動貼り付けはまだできない。)

福岡市博物館の金印

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福岡市西新(にしじん)は、玄界灘を埋め立ててつくったおしゃれな街。金印を展示する福岡市博物館はそこにある。たいへん立派な建物だ。

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金印。1784年に福岡・志賀島で百姓甚兵衛が発見。亀井南冥(なんめい)がその価値を認めた。「後漢書」にある西暦57年記述を裏付ける物証だとされるが、ニセモノ説が昔からある。2007年3月3日、朝日新聞が三浦佑之・千葉大教授の著書『金印偽造事件』を紹介した

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西新は、長谷川町子がサザエさんを発案した街だという。福岡の居酒屋に座ると、突き出しがこんなにたくさん出る。これは韓半島の文化だと思った。

野外観察には決まった順番がない

野外観察には順番がない。基礎→応用、数学→力学→電磁気学→量子力学のような学習の順番がない。野外に行くと、複雑な自然が丸ごと襲ってくる。観察者は、そのなかから解釈できるものを探す。

初心者は、先生が順番に教えてくれないからと不平を言うが、自然観察は順番で教えられるものではない。教えようとすると次から次へとさまざまなことが湧き出してくる。枝葉に飛んで、また幹に戻ってくる。戻ってくればまだよいほうで、行ったきりになったりする。

そういう事情があるから、案内者の説明はいきおい早口になりがちだ。そこを、セーブしてゆっくり話すのはなかなかむずかしい。

参加者の側、聞く側には、この事情をわかってもらいたい。案内者が順番立てて説明してくれないからわかりにくいなどと不平を言わないでほしい。生の自然の理解は、要素分解型の物理学による理解とはまったく異質のものなのだ。こういう自然理解の方法もあることも知ってほしい。

そして、この方法よって初めて、移ろいやすい複雑な自然をほんとうに理解することができることを知ってほしい。あなたにまだ理解されていない自然が、あなたのすぐそばにある。

自然の理解の仕方はひと通りで答えが決まっているわけではない。観察者の数だけ理解の仕方がある。自分の個性を自然にぶつけて、自分の理解の仕方を私に見せてほしい。

野外観察会、案内者の小道具

野外観察会で案内者をすることになったとき、用意するとよい結果が得られるだろう小道具を紹介します。


・地図パネル。裏は白。
・ホワイトボードマーカー。地図パネルの裏に書く。書いたらすぐティシュペーパーで消す。
・差し棒。忘れたら枯れ枝で代用する。レーザーポインタが有効なときもある。
・マイクつき拡声器。マイクが頬を伝わって伸びていて両手が自由になるのが必須。これは、スピーカーをおでこにとりつけるタイプ(ミドリ安全のファレボホーン。ただし生産終了)。腰にベルトでスピーカーを取り付けるタイプもある。後ろに声を届けたいときに便利。

美しさの背後に

美しいものを目にしたとき、美しいと感じるだけですますひとと、なぜ美しいのか理由を言葉で考えるひとの2種類がいる。後者の行為は、ときと場所をわきまえないと無粋だと非難されることがあるが、人生を豊かにする効果があるのでこっそり楽しむとよい。

美しさの背後には、解読されるべき情報が隠れている。世界には情報がいくらでも転がっているが、美しさは、それが解読可能であることを意味する。その情報を解読する知的作業は楽しい。

自然保護は利己的行為

自然保護という語には内部矛盾が指摘できる。変化するのが自然ほんらいの姿なのに、保護してその変化を止め、自然をひとつところに留めようとしている。これは反自然的だ。

緑を破壊する火山を専門にしていると、このことを強く思う。この考え方を私が初めて知ったのは、町田洋先生が鳶崩れ(富山県)に関連して20年前につぶやくのを聞いたときだ。「美しいものだけが自然ではない。醜いのもまた自然だ」。幸田文も晩年このことに思いを寄せて、「崩れ」を書いた。

昨今の地球温暖化防止対策にも同様の危惧を抱く。地球を操作できると信じるのは人間の傲慢以外のなにものでもない。自然(地球)への畏敬が失われている。学校では、自然への畏敬を道徳で教えることになっている。学習指導要領にある。さて、上手に教えているだろうか。

去年と同じでないと、すぐ異常気象だという風潮も困ったものだ。自然は変化することが本質であることを一般は理解していない。現状を憂える。

諸行無常:仏教の根本主張である三法印の一。世の中の一切のものは常に変化し生滅して、永久不変なものはないということ。


昨今は持続可能という合言葉をよく目にする。しかし、変化しようとする自然を制して同位置に留めようとすることは、けっして自然ではない。それはまったく自分本位で、自然にあらがう行為だ。大いなる自然への畏敬が足りていない。

手入れして里山を維持することで生物多様性が向上するのは認める。里山の居心地の良さは認める。しかし、それは人間にとってのことであって、自然にとってメリットがあるかどうかは疑問だ。それを自然保護だと言うのはおかしい。人間を保護しているだけにすぎない。

自然にとっては、里山や田んぼが広がることはもしかすると迷惑な話かもしれない。人がいじらなくても、そのような環境はかならずどこかに自然に生じて生物多様性は維持されるだろう。

自然保護という美名は、じつはまわりの環境を整えて自分のいごこちをよくしようとする利己的な行為にすぎない。自然や地球を保護しているわけではない。そもそも人間は、自然や地球を保護するだけの力を持っていない。

もちろん、努力して自分のいごこちをよくする行為は非難されるものではない。むしろ努力家だと賞賛されることだ。しかしその行為の動機を自然保護だと掲げるのは偽善だ。素直に自分のためだと認めるのがよい。

東京国分寺に露出する関東ローム層

日曜日、用事があって国分寺の東京経済大学に出かけました。

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国分寺駅南口から、JR中央線の線路に沿って東に歩きます。ニッポンレンタカー営業所の裏の大きな駐車場に、関東ローム層(赤土)が広く露出しているのをみつけました。昔は東京のいたるところでこのような赤土の崖を見ることができたでしょうが、いまはほとんどみかけません。

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地表から5メートルほど下に直径2ミリの軽石が集積しているのをみつけました。層の厚さは6センチほどです。箱根山から6万6000年前に噴出した東京軽石でしょう。だとすると、このロームは本家の武蔵野ロームです。関東ロームは、立川ローム/武蔵野ローム/下末吉ローム/多摩ロームに分けられます。分ける基準が何なのか、私が物心着く前の研究ですから詳しくは承知しませんが、クラック帯や埋没土だったような記憶があります。たしかに、クラックが顕著な層準が東京軽石の下70センチにありました。

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関東ロームは、火山が噴火しなかったことを示す地層です。箱根山が6万6000年前に激しい噴火をしてこの地に東京軽石を降らしました。同様の激しい噴火がその後は起こらなかったので、東京軽石の上にはロームばかりが積もっています。軽石や火山灰はみられません。ロームが火山噴火でできたと書くひとがいますが、それは誤りです。ロームは、春から初夏にかけて強風が吹いたときに、近隣の裸地から飛来したホコリが積み重なったものです。

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道の反対側の空き地で、ロームの上にクロボク(黒土)がのっているのをみつけました。クロボクの厚さは1メートル。基底がだいたい1万年前です。クロボクは縄文時代に相当します。縄文時代にローム(赤土)でなくクロボク(黒土)が堆積したのは、人為による環境操作が原因だったろうと私は考えています。クロボクに過酸化水素水を加えてひと晩置くとロームになります。

花こう岩の組織

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よく磨いた花こう岩の表面を見ると、複数の鉱物が組み合わさっていることがわかります。色で見分けられます。写真の花こう岩は、黒(角閃石)、赤(アルカリ長石)、白(斜長石)、透明(石英)から成ります。花こう岩によっては、角閃石のかわりに黒雲母だったりします。写真の花こう岩は外国産だと思われます。日本産にはこれほどアルカリ長石が入っていません。

鉱物がしっかりと組み合わさっていて、鉱物以外の部分(石基という)を持たないこのような組織を等粒状組織といいます。マグマが地下で何十万年もかけてゆっくりと冷却してできました。

山道に露出する木の根

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山道にしばしば木の根が露出するのは、その道が浸食されたことの証拠だ。浸食は水ではなく、風による。道は植生で保護されていないから、乾いた強風の日に表土が吹き飛ばされる。吹き飛ばされた土ぼこりの大半は、道の両端の草むらに降り積もる。

四回の大津波が残した地層 タイ


EARTHという月刊誌の2009年1月号で紹介されている地層断面の写真。一番上が2004年にインド洋で発生した津波の堆積物。その下に、黒色の泥炭をはさんで700年前、1450年前、2800年前の津波堆積物がある。タイのこの地域は、およそ1000年に一度2004年のような大津波に襲われていたことが、地層という物的証拠をもって、知ることができた。

平和な時間が経過したことを示す泥炭ではなく、1000年に一度のカタストロフック・イベントである津波堆積物が一番上の地層がつくっているこの写真には、複雑な感慨を覚える。

時雨忌

きょうは時雨忌(しぐれき)といって、芭蕉が亡くなった日だと朝のテレビがいいました。調べてみると、松尾芭蕉が亡くなったのは元禄七年十月十二日(1694年11月28日)でした。きょう2007年11月21日は、旧暦では十月十二日にあたるので時雨忌だというのです。お盆や正月を旧暦で祝う地域がありますが、それと同じやり方です。

明治五年以前の旧暦時代の記念日を、いま祝う方法をまとめます。

1)旧暦を旧暦で祝う。
きょうテレビで紹介された時雨忌がそうです。旧盆や旧正月もそうです。昔の旧暦の日付は文書に残されてよく知られていますが、いまの旧暦は日常生活でほとんど目にしません。その気になって確認しないとならない煩雑さがこの方法にはあります。

2)旧暦を新暦で祝う。
いまの新暦をつかって記念日を祝うと簡単ですが、旧暦と新暦には1ヵ月余のずれがあります。そのために季節感が違ってしまいます。時雨忌は、じつは新暦で祝われることも多いらしいのですが、10月12日は秋の盛りで秋晴れの日が多くて雨はあまり期待できません。降っても、時雨が意味する晩秋から初秋にかけて降る通り雨とは違います。忠臣蔵を12月14日だと思うと、年末という暦上の季節感はたしかに出ますが、数日前に降った雪が江戸の路地に残る寒さのどん底にはまだ早い。忠臣蔵は元禄十五年十二月十四日(1703年1月30日)でした。

3)新暦を新暦で祝う。
元禄七年十月十二日は1694年11月28日だったから、時雨忌を11月28日に祝う考えかたです。どちらも太陽暦であるグレゴリオ暦を使っていますから、四季の狂いがありません。芭蕉が好んだ時雨の季節にぴたりです。この方法はたいへん合理的ですが、この合理性が実社会で採用されている例をみつけることができません。

アスファルト道路を直撃した火山弾



三宅島の1983年10月3日の噴火で新澪池から投げ出された火山弾がすぐそばのアスファルト道路を直撃した.このタイプの噴火は近寄るとたいへん危険である。

パン皮火山弾



パン皮火山弾は安山岩マグマによるブルカノ式噴火でごくふつうに生じる.飛行中に冷却して表面にガラス質の皮殻が生じるが、内部はまだ高温で発泡を続けるために、いったんできた皮殻が破れる.亀裂の開口幅は、火山弾の上部で大きく地面に接した底部で小さいから、発泡による体積膨張は着弾後も継続したことがわかる.(草津白根山、20世紀、長さ8センチ)
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