風景に書き込まれた歴史を読み解く

The Story Behind the Scenery

鎌原土石なだれは鬼押出し溶岩から発生した。

早川由紀夫(2017)鎌原村を襲った土石なだれは、鬼押出し溶岩から発生した。月刊地理、62(8)、4-9。
キャプチャ

浅間釜山と霧島御鉢はよく似ている。


浅間山の釜山スコリア丘(右)と霧島山の御鉢スコリア丘(左)のほぼ同一縮尺比較。よく似ている。釜山スコリア丘は360度ぐるりあるが、御鉢スコリア丘は溶結層が西側で欠けている。そこから大量の溶岩が流れ出た。いっぽう釜山スコリア丘は鬼押出し溶岩が北側基底を破って流れ下った。

ohati.png
御鉢のグーグルマップ3D

kama.png
釜山のグーグルマップ3D

・浅間山1783年溶岩(鬼押出し)は3億トン(M4.5)
・霧島山1235年溶岩(御鉢)は2億トン(M4.3)。

【“浅間釜山と霧島御鉢はよく似ている。”の続きを読む】

ドローンで見た浅間火口内壁


浅間山、2017年5月21日の火口底。手前に千トン岩。

2521.jpg

DCABwprUQAEE7VI.jpg

1783年噴火で鬼押出し溶岩は釜山スコリア丘の基底を破って北山腹を流れ下った。いま西之島でスコリア丘の基底を破って大量の溶岩が流れ広がっているの同じである。

1783年噴火で鬼押出し溶岩が北側にだけ流れ下ったのは釜山火口縁の北側が低かったから、は正確でない。釜山スコリア丘が乗った前掛火口縁の北側が低かったから、が正確だ。前掛火口は1108年噴火でできた。舞台溶岩は北側にだけ流れている。そのときから北側が低かった。いまも北側が低い。

1783.png



【“ドローンで見た浅間火口内壁”の続きを読む】

鬼押出し横断、2014年5月31日

 013.jpg
鬼押出し溶岩の上に載る吾妻火砕流

016.jpg 017.jpg
(左)鬼押出し溶岩の中央を流れ下る砂礫。鬼押出し溶岩より古い前掛山斜面が水流で移動した。
(右)山頂火口から放出された火山弾。火口縁の千トン岩が遠くに見える。

022.jpg 024.jpg
(左)鬼押出し溶岩の西縁。情報に釜山スコリア丘の西端が見える。
(右)火山弾がつくったクレーターの地表には天明軽石が散乱している。
【“鬼押出し横断、2014年5月31日”の続きを読む】

鬼押出し溶岩と吾妻火砕流

087.jpg
舞台溶岩の上の吾妻火砕流と鬼押出し溶岩

089.jpg 
吾妻火砕流の表面にはジャガイモのキタアカリに似た赤くて大きな軽石がたくさん見える。

093.jpg 094.jpg
鬼押出し溶岩の上に吾妻火砕流が載っている。

102.jpg
鬼押し出し溶岩を乗り越えて流れてきた吾妻火砕流の表面にジャガイモが列をつくる。

【“鬼押出し溶岩と吾妻火砕流”の続きを読む】

浅間山1783年噴火の最近研究レビュー

安井・小屋口(1998、日大紀要)は、吾妻火砕流の主要部分が8月4日夕刻から始まったクライマックスのあとに流出したと考えた。前掛山の山腹に露出する軽石の最上部に複数の火砕流堆積物が挟まれていることを根拠にした。安井真也さんはいまもこう考えているのだろうか。その場合、8月4日午後に六里ヶ原へぬっと押し広がって樹木を焼いたと書く古記録をどう扱うのか。

古記録では、吾妻火砕流が8月4日午後で、軽石噴出のクライマックスがその夕刻から翌日未明までだったと読める。これは荒牧さんの時代から知られていた。それなのに、軽石→火砕流の順番が頑なに信じられてきた。その理由は何か。古記録より野外での層序を優先した結果だろうか。

峰の茶屋の東大火山観測所構内に露出する軽石の中央部とそのすぐ下にオレンジ色の火山灰が3、4枚挟まれている。それらが吾妻火砕流から噴き上がった灰かぐらが風下のここに降り積もったものだと初めて解釈したのは、たぶん私だ。軽石の上半分が8月4日夕刻から始まったクライマックスの堆積物だから、この解釈は古記録の記述とよく合致する。

【“浅間山1783年噴火の最近研究レビュー”の続きを読む】

鬼押出し溶岩の上に載る吾妻火砕流

IMGP4508.jpg
廃道を進んで、鬼押出し溶岩(右)と舞台溶岩(左)がつくる隘路をくぐり抜けると、鬼押出し溶岩の上に立つことができる。

IMGP4364.jpg IMGP4362.jpg
クロマメノキが群生する平坦面は、鬼押出し溶岩の上を覆った吾妻火砕流が残した堆積物だ。

IMGP4343.jpg IMGP4346.jpg
平滑面で囲まれた溶岩ブロックが累々と積み重なった上に、赤く酸化したスコリアからなる吾妻火砕流が7メートルほどの厚さで重なる。

【“鬼押出し溶岩の上に載る吾妻火砕流”の続きを読む】

鬼押出し溶岩の西では1783年噴火をいまでも経験できる

 IMG_3916.jpg
火山館から湯の平を越えて、鬼押出し溶岩の西側地域を調査しました。ここには、山頂火口から226年前に流出した溶岩の地形がそのまま残っています。当時の噴火をダイナミックに想像することができる稀有な場所です。

IMG_3882.jpg IMG_3932.jpg
2007年7月に印刷した2万5000分の1地質図には、鬼押出し溶岩の西側に吾妻火砕流の領域を細長く設けました。溶岩樹型にあるのだからここにあるはずという論理でした。行ってみたら、標高2105メートル地点に確かにありました。

鬼押出し溶岩に沿って細く分布することも確かめました。300メートル西に移動すると、特徴的な黄色岩片がたくさんまじる1783年軽石が地表に露出します。峰の茶屋に軽石断面で、吾妻火砕流の層位を示すピンク色火山灰の下に露出する部分です。つまり、ここの地表は吾妻火砕流に覆われなかったことがわかります。

IMG_3913.jpg
釜山スコリア丘が鬼押出し溶岩に破壊されて東西に分断されたように地質図では表現しました。山頂火口から流れ出したばかりの鬼押出し溶岩の流れ中央部にも高まりがあって、それも釜山スコリア丘の残がいだと思っていました。しかしよく観察すると、それらは既存の前掛山凸部だと思われます。巨大なスコリアラフトには見えません。古い溶岩のように見えます。ここを鬼押出し溶岩が通過したのは確かですが、急斜面のためここに留まることなくすべて流れ下ってしまったようです。地質図を改訂します。

鬼押出しでブロック溶岩を観察する

 IMGP2649s.jpg
鬼押出しは浅間山の1783年8月噴火で山頂火口から北側に流出した安山岩溶岩である。この溶岩は同じ火口から軽石を放出する爆発と平行して流れ出したから、表面に赤い軽石を多数のせている(スコリアラフト)。赤い軽石にじゃまされるから、鬼押出しで安山岩溶岩固有の表面構造を観察することは難しい。

安山岩溶岩の表面構造として典型的なブロック溶岩は、浅間園Dコースの北西隅(地点55)で見ることができる。ここは、鬼押出し溶岩が柳井沼の窪地に流れ込んだ場所に当たる。急勾配のために溶岩流の表面が破けて、内側で流動していた水飴状部分が現れた。地表に現れるやいなや水飴状部分は大気に放熱して固まろうとする。しかし急勾配のために移動は継続するから、固まりつつ割れて、大小のブロックが累々と積み重なった。

天明三年噴火記録をグーグルマップで


大きな地図で見る
浅間山の天明三年噴火を書いた文字記録は日本各地に存在します。それを、グーグルマップを使って整理しました。

1メートルの軽石に埋まっても中山道は残った



横川の峠の湯は、桜が満開でした。中山道は、杉林の向こうに見える高い山(刎石山はねいしやま)の上に続きます。

IMG_2281s.jpg

つづら折りの急坂のあと、こんな道になります。足元に、刎石山の溶岩のかけらが散乱しています。

IMG_2292s.jpg

振り返ると、坂本宿。木に葉がついていないので、見通しよく観察できました。

IMG_2297s.jpg

刎石山の溶岩の断面です。柱状節理だという説明板がありますが、これはむしろ板状節理です。急斜面をギシギシ流れ下った溶岩に特徴的な構造です。

IMG_2300s.jpg

軽石が露出していました。一番上の白い軽石は1783年8月の天明噴火によるものです。1メートルほど積もっています。これだけ積もってもこの中山道は廃棄されませんでした。むしろ、ふかふかして膝にやさしく歩きやすくなって旅人に歓迎されたかもしれません。

富士山の800年噴火で足柄路を廃して箱根路を開いたは、黒い軽石が街道を埋めたからではなく、地震によるがけ崩れで通行困難になったからではなかろうか。古代人にとって、火山噴火と地震を峻別して記述するのは困難だったろうと思いますから。

押切端の吾妻火砕流先端

IMG_2177s.jpg

押切端の牧草地は1108年の追分火砕流の表面です。ここ(地点28)にくると水の流れる音がよく聞こえるのを知っていましたが、それは地蔵川に滝がかかっているからでした。

IMG_2180s.jpg

この滝は吾妻火砕流がつくっています。1783年8月4日午後、吾妻火砕流が地蔵川に流れ込んで、狭い谷の中を進みました。そのあと地蔵川が、溶結した吾妻火砕流を削り取って滝をつくりました。滝の下からは河床が追分火砕流に変わりますが、左岸にはしばらく吾妻火砕流がつくった低い段丘が続きます。それは50メートルほどで終わります。そこが、ここ地蔵川における吾妻火砕流の先端です。7月に印刷した地質図は、吾妻火砕流のオレンジを地蔵川に沿って250メートルほど伸ばすべきです。

鬼押出し溶岩の水冷構造



浅間園火山博物館を訪れた人がまず最初に見る鬼押出し溶岩の塊には、顕著な水冷構造が観察できます。これは、安山岩溶岩としてはきわめて異常です。この異常が、安山岩溶岩の代表的みかけだと多くの観察者の脳裏に刻まれるとしたら、それはたいへん困ったことです。

IMG_0369s.jpg IMG_0371s.jpg

亀の甲らのようなこの水冷構造は、柳井沼の水によってつくられたと考えられます。

火山博物館の鬼押出し溶岩Dコース

 
赤いスコリアのまわりを溶岩がまんじゅうの皮のようにとりまいている。溶岩がスコリア丘を壊しつつ流れ下ったからだ。この構造は、鬼押出しが火口からスコリアを噴き上げつつ流れ出した溶岩であることを証明している。玄武岩溶岩にみられる溶岩ボール(lava ball)と同じものだ。

IMG_0230s.jpg
水冷されてできた亀甲割れ目を表面にもつ溶岩。柳井沼の水と接触したことを思わせる。

IMG_0251s.jpg
見晴台から見た浅間山頂。スロープを観察すると、次がわかる。左右は前掛山の直線的斜面。落石がつくった。前掛山の上に釜山がちょこんとのっている。釜山の斜面は直線的でない。高温のため内部変形してつぶれている。鬼押出し溶岩は釜山を壊して流れ下っている。吾妻火砕流がその一部を覆う。

マグマが泡立つと軽石ができる



マグマが泡立って噴き出すと、軽石ができる。同じ軽石でも、噴火ごとにすべてみかけが違う。ひとを見分けることができるように、軽石も見分けることができる。浅間山の1108年軽石は黒いが、この1783年軽石は白い。
次のページ

FC2Ad