風景に書き込まれた歴史を読み解く

The Story Behind the Scenery

浅間山から高崎と伊勢崎に届いた赤岩

高崎の赤岩は烏川の河原にあるが、烏川を下ったのではない。2万4300年前の浅間山崩壊で吾妻川を下った土石なだれが渋川で利根川に合流したあと、関東平野の上に展開した。

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聖石。1998年頃の地上写真。

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赤石

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川籠石(こうごいし)


伊勢崎の赤岩は広瀬川の河原にある。

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龍神宮

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応桑の流れ山 冬の朝

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応桑の流れ山。冬の朝。

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同じ日の地上写真。

塚原土石なだれがつくった段丘


吾妻川・利根川合流点の吹屋面

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群馬県庁と群馬ロイヤルホテルが乗る前橋台地

長野県側の赤岩

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きのう、軽井沢で赤岩を見つけました。下発地の畑の中にぶかっこうな流れ山があるので、どうしたわけだろうと近づいてみたら赤岩でした。お約束どおりここでも祀られていました。

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これは、20年以上前から知っていた佐久の赤岩。赤岩弁財天。


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坂下バス停



前橋の中心部に坂下というバス停がある。向こうに見える歩道橋は国道50号に架かるが、それは坂の上にある。そこからこちらに向かって歩くと、横断歩道までの間に2メートルほどの坂を下る。ちょうど横断歩道を渡り終えた男性の頭の少し上に、国道50号の路面が見える。

2万4300年前に浅間山が突然崩れて、吾妻川から利根川に入った塚原土石なだれが前橋台地をつくった。歩道橋の向こうにはケヤキ並木が前橋駅まで続く。それは前橋台地の上にある。坂下バス停は、この前橋台地を利根川が削ってつくった坂を下り終わったところに位置する。坂下の北側に広がる平地を、前橋台地と対照して、広瀬川低地帯と呼ぶ。利根川は1000年前まで広瀬川低地帯を流れて伊勢崎に直行していた。

 黒点と黒棒は、818年地震による地割れを示す。

石尊山三景

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石尊山は溶岩ドームだと考えられてきた。しかし、その地形を仔細に見ると、溶岩ドームとしては不自然に感じられる。小浅間山や離山は、一点からマグマが地表に現れて、周囲に崖錐を形成しつつ高くなった溶岩ドームの特徴をよく残しているが、石尊山はそうはみえない。北西に伸びる尾根をもち、南東部に不自然なかたちで足を伸ばす。

石尊山が占める位置は黒斑山の裾野の一部にあたると考えておかしくない。塚原土石なだれを発生させた山体崩壊のときに崩れ残った部分なのではないか。少なくとも、北西に伸びる尾根と南東の足は黒斑山の一部だとみるのがよい。石尊山のピーク自体は、黒斑山の寄生火山として生じた溶岩ドームだった可能性が残る。

南軽井沢交差点の流れ山



アウトレットから南に碓氷軽井沢インターチェンジに向かう道路が軽井沢バイパスを横切る交差点の名前は南軽井沢という。この交差点の南東隅にある諏訪神社は、塚原土石なだれの大きな流れ山の上に建立されている。この流れ山の比高は10メートル近くあるが、2万5000分の1地形図に等高線による表現はない。この交差点をこれまで何度も通ったが、きょう初めてこの流れ山に気づいた。

小諸層群の上に重なる塚原土石なだれ



佐久市鳴瀬から見た千曲川の対岸の崖。小諸層群の上に塚原土石なだれの堆積物が重なっている。下位の小諸層群は砂層とシルト層からなり平行層理がみられる。上位の塚原土石なだれは層理がなくパッチワーク構造を示す。境界面は南東に傾いている。

色鮮やかなパッチワーク 岩村田の塚原土石なだれ



岩村田の天然記念物ヒカリゴケのそばに露出する塚原土石なだれの堆積物。元の火山体のいろいろな部分にあった地層が流れの過程で寄せ集まって、色とりどりのパッチワークをつくっている。

土石なだれ堆積物の上を覆う黄色い軽石の層は、平原火砕流堆積物から発生したラハールの堆積物だ。この地点は1万5800年前の平原火砕流噴火の直前に湯川によって洗われたから、2万4300年前の塚原土石なだれの浸食面の上にラハール堆積物が直接のっている。8500年の時間経過を示すローム層はここには挟まれていない。

五郎兵衛米は塚原土石なだれの上で取れる

おいしいと評判の佐久市浅科の五郎兵衛米(コシヒカリ)は、塚原土石なだれの上につくられた田んぼで生産される。千曲川右岸の佐久市塚原にはたくさんの流れ山があって、この土石なだれの堆積面であることが以前から知られていたが、左岸の五郎兵衛米たんぼもそうであることは、きょう現地を調査して初めてわかった。土石なだれの堆積物は、(1)浅科大橋のセブンイレブンから御馬寄に下る道沿い、(2)中山道の南側の崖、(3)駒寄団地の南側に露出する。浅科側には流れ山がひとつも見られない。水田耕作のために撤去されてしまったのだろうか。



浅科大橋の下の右岸(塚原側)の水面上に、土石なだれの断面が連続して露出する。パッチワーク構造がよく観察できる。



田んぼの真ん中のちょっと小高いところに浅科小学校がある。基盤地形の高まりかとおもったが、どうやら塚原土石なだれの堆積表面そのものらしい。興味深い形状だ。遠景の丘陵は御牧原。第三紀の火山角礫岩や堆積岩で構成される小諸層群からなる。

応桑の流れ山


2万4300年前に浅間山が崩れて発生した塚原土石なだれは、長野原町応桑にたくさんの流れ山を残した。

浅間大滝駐車場の露頭

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北軽井沢で塚原土石なだれの断面を見ようと思ったら、浅間大滝の駐車場が一番みやすいです。いま雪が融けたばかりで、草がまだ着いていません。表面を掃除すれば、2万4300年前の塚原土石なだれから、1万5800年前までの平原噴火までは簡単に、がんばればその上もここで見ることができます。

塚原土石なだれの流れ山の上に、レスを挟まないで、BP2軽石が直接のっていることを確かめることができます。平原噴火は、火砕流だけでなく嬬恋軽石とカラフル火山灰をよく観察することができます。カラフル火山灰は液状化によって変形しています。当時の大地震の結果でしょう。以上、このパラグラフはかつて私がここで観察したことがらです。今春確認したわけではありませんが、たぶん確認できるでしょう。

赤城の飛石

前橋にこんなお菓子がありました。


赤城の飛石(清月堂)

群馬大学医学部そばにある岩神の飛石にちなんで名付けたのでしょう。しかし岩神の飛石は、赤城山からではなく、2万4300年前の山体崩壊で浅間山から流れてきた大岩です。

現地に立てられた特別天然記念物の説明文に「赤城山から」と書いてあるので仕方ない面もありますが、できれば「浅間の飛石」とお菓子を改名してほしいものです。

岩神の飛石 浅間山が崩壊し流れ着く

石尊山

石尊山は、ほんとうに溶岩ドームだろうか?
黒斑山の溶岩の先端かもしれない。

新発見の赤岩



長野原郵便局下の赤岩

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与喜屋(よぎや)の赤岩。新井橋の東詰南。
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