風景に書き込まれた歴史を読み解く

The Story Behind the Scenery

鬼押出しに隣接した広い範囲に小滝火砕流

火山博物館の南に、使われなくなったスキーゲレンデがある。その上にあるうっそうとした森は、小滝火砕流の上に成立している。

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鬼押出しを横断する廃道に続く道が、幅50メートルの溝の中を通過している。その両端に小滝火砕流の断面が露出する。厚さは3メートルほどで溶結している。左が東側、右が西側の断面だ。

火砕流の中のスコリアは、吾妻とも追分とも違う。幅50メートルの溝は、天明噴火で破壊された柳井沼に続いていたとみられる。これほど大きな溝があるのだから、この火砕流が吾妻火砕流であることは、ない。

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火砕流の表面や溝の中に生育する樹木の多様性と年輪も、わずか200年では成立しえない複雑さと太さである。火砕流の上に天明軽石はあったが、Bスコリア上部はひと粒もみつからなかった。もしこれが追分火砕流ならどこかのくぼみに残っているのがもっともらしい。火砕流の表面に浸食不整合があるとみられる。

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以上の観察と考察から、上のように地質図を修正した。

前掛山の西斜面を下った円山溶岩


深い緑のシラビソにおおわれた円山(まるやま)溶岩が、紅葉したカラマツの黄金色から浮き上がって見える。円山溶岩が前掛山の西斜面を下ったのは3世紀末のC噴火のときだったと言われることがあるが、確かではない。

DとE

大きな噴火を上から順に、A, B, C,・・と呼ぶと、Dに当たる噴火では火砕流の堆積物を確認することができます



上半分が赤く、下半分が青い石質の火砕流です。パン皮スコリアとガラス質の溶岩片がはいっています。基底近くに濃淡の緑色シルトがあって、その中に炭化木が含まれています。4月15日参照

Eに当たる噴火はウグイス色の火山灰を挟むスコリアです。

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基底の朱色粘土が特徴的です。

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姥が原では、クロボクの間に挟まれています。ローム直下の厚い軽石は嬬恋軽石です。

 70cm クロボク
 25cm 再堆積ローム
 25cm E軽石
 25cm クロボク

という層位ですから、Eの年代は、ここだけの観察から、7000年前くらいだと思われます。

DとEの年代は、志賀高原や苗場山におけるアカホヤ火山灰や妙高火山灰などとの層序関係からよくわかっています。Dは5600年前、Eは6800年前です。志賀高原で、Eの下15センチにアカホヤ火山灰があります。ここではアカホヤ火山灰を7300年前と考えます。

南へ降った軽石

千ヶ滝西区の行き止まり(地点338)で、1995年に、Bスコリアの下に2枚の軽石層があるのを観察したことがあります。



これは、そのうちの上位の軽石に相当すると思われます。軽石中に結晶が少なく、ガラス質の角張った大きな岩片が含まれることが特徴です。およそ5000年前に南に降った軽石です。軽井沢町追分

前掛山のなめらかな斜面

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前掛山のなめらかな西斜面が美しい。その名の由来がわかるような気がします。手前の水面は田代湖です。人造湖です。

古滝火砕流はC軽石噴火のとき



古滝火砕流の上に厚さ8センチのクロボクを挟んで1108年の追分火砕流がのっています。このことから、両噴火の間には800年程度の時間が経過したことがわかります。

前橋・高崎地域の考古遺跡では、平安時代のBスコリアの下に古墳時代のC軽石みつかります。遺物との関係から、C軽石の年代は4世紀だと言われています。したがって古滝火砕流がC軽石の噴火の産物であることは、たいへんもっともらしいことです。

古滝火砕流は、よく酸化した赤い堆積物です。溶結しています。古滝周辺では追分火砕流にすっかり覆われてしまって、地形をつくっていません。

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