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風景に書き込まれた歴史を読み解く

The Story Behind the Scenery

富士山頂火口縁は西側が高い


西側にあたる左端の剣が峰が異様に高い。日本列島の火山頂の火口縁はふつう東側が高い。高空に常時吹いている西風のせいで噴出物が東に偏るからだ。これに反して富士山頂火口縁は西側が高いのは、東側が2900年前に崩壊していったん失われたからだ。直後に再構築されたが、まだ低い。 Titanさんの2019年10月22日写真

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ドローンで見た富士山頂火口

DJI Mavic 2 Pro で2019年10月10日に撮影した。画像をクリックすると大きくなります。

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東から見た富士山頂火口パノラマ。最高峰は剣ヶ峰(3776m)。その右に白山岳(3756m)。手前のピークは成就岳(3733m)。その右に伊豆岳(3749m)。火口内左側に虎岩。遠方右に甲府盆地と八ヶ岳。


南から見た富士山頂火口パノラマ。左に剣ヶ峰。正面は富士宮口の浅間大社。

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吉田口の山小屋群。山頂火口の北西側に溶岩の平坦面が残っている。剣ヶ峰と白山岳。

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火口縁と外側斜面

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富士宮口を登り詰めると浅間大社の鳥居が迎えてくれる。右やや遠方の鳥居は御殿場口からのゴール。

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反時計回りに伊豆岳へ。

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さらに回ると吉田口の山小屋群が見える。外側斜面にブルドーザー道。

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伊豆岳スコリア丘

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伊豆岳パノラマ

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山頂火口の東縁を構成する伊豆岳スコリア丘

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金明水溶岩湖

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金明水溶岩湖のパノラマ。左は剣ヶ峰。

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金明水溶岩湖、斜めから。

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虎岩は、金明水溶岩湖の一部のように見える。

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御殿庭は1707年噴出物か

氷河が残したモレーンだと私が3年前に認定した御殿庭と宝永第三火口が、1707年噴火でつくられた地形だとする発表が、2019年5月27日に幕張で二つあった。静岡大学の小山真人さんと富士山科学研究所の馬場章さんたちだ。

・小山(2019)1707年富士山宝永噴火の火口と推移についての新たな作業仮説
・馬場ほか(2019)富士火山、宝永山の形成過程の考察

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小山(2019)

これらの地形と堆積物(2016年と2017年に私が撮影した現地写真、大画面閲覧用)が300年前の噴火で、わずか数日でできたとはとても考えにくい。 御殿庭モレーンからの排水ロだと私が認めた谷地形を、小山(2019)は噴火割れ目、馬場ほか(2019)は浸食谷だとしている。

これら二つの発表が主張するところが正しければ、氷河地形であるとする私の解釈は否定される。しかし、次の点で彼らの解釈は疑わしい。御殿庭と第三火口は一列をなさず並列している。噴火割れ目が二列になるので同じ噴火で形成されたとは考えにくい。また火口近傍相(アグルチネートなど)がない。浸食谷だとすると、いったいいつどうやって形成されたのだろうか。ガリー(雨裂)なら、どうしてここだけにできたのか説明できない。

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須走口、幻の滝付近で2017年10月1日撮影

御殿庭と第三火口だけでなく、宝永山(赤岩)も1707年噴出物だという。須走口、幻の滝付近に露出するこの1707年スコリア/軽石のいったいどの層準にそれらがあたると考えるのだろうか。

もし宝永山(赤岩)や御殿庭の凸地形が1707年噴火でできたのなら、水蒸気マグマ爆発でできたタフリングだということになろう。それらの遠方相がプリニー式降下スコリア/軽石の間に挟まれているべきである。しかし、火口から4キロほど離れた御殿場口や須走口で私が観察した限りでは、そのような地層は存在しない。すべてプリニー式降下物の積み重なりからなる。30年以上昔になるが、火口にもっと近い幕岩で観察した厚いスコリア層の中にもそのような噴火を思わせる地層は認められなかった。1707年降下スコリア/軽石の間に地層が挟まっている写真が提示されない限り、これらの地形が1707年にできたとする説は想像の産物だと言わざるを得ない。

宝永山(赤岩)について、2016年に産総研が出した富士火山地質図(第2版)に何と書いてあるか調べたが、説明書に記載を見つけられなかった。地図にはH-udとラベリングしてある。星山期の未区分噴出物の意味だ。10万年前から2万年前までのどこかで噴出した。

御殿庭はオリジナルの地形を比較的よく保存しているが、宝永山(赤岩)は大きく浸食されて、とくに東側がすべて失われている。宝永山(赤岩)が1707年噴出物でできていると主張するひとたちは、この大規模浸食がいつどのように起きたかを説明する義務を負っている。私は氷河が削ったと考えている。

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うさはかせのドローン写真

1707年スコリア(黒)が宝永山の東側急崖を覆っている。この急崖は1707年スコリアが降ったときにはすでにあったということだ。新説によると、宝永山は9日の間に積もって崩れるをしないとならない。とてもむずかしい。そして、崩れた先の地表に該当土砂は認められない。1707年スコリア斜面が広がっている。

小山町の新東名工事露頭


新東名は御殿場市内を盛土して通るが、北隣の小山町は台地を深く切土して通過する。その切土を上空からドローンで撮影した。12月10日、NEXCO中日本の好意で地層断面を観察する機会を得た。

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露出する地層は、富士山噴火によるスコリア堆積物と土石なだれなど。最近1万年間。

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宝永スコリアは、お約束どおり最下部に白い軽石を敷いている。波うっているのは畑の畝だと思われる。ローカルな土石なだれの最上部は茶色く風化している。その上に(畑の)黒い土がある。土石なだれは49日前の宝永地震で生じたのではない。もっと古い。

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御殿場土石なだれの表面は浸食されている。断面に堆積物パッチはあるが、流れ山はない。平らだ。その上によく成層した降下スコリアが重なる。レスは挟まっていないが、土石なだれを起こした山体崩壊のあと数週間以上の時間が経過してからスコリアが降ったようだ。

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砂沢(ずなざわ)スコリアは30センチ。下部に軽石がまじっている。上に行くにつれて粒子が細かくなっている。噴火が進行するにつれて噴煙高が減じたのだろう。噴出率(kg/s)が下がっていった。直上に砂の層が重なっているので最上部がよく保存されている。砂の層は富士山の噴火で降ったのではなく、近くに降り積もっていた砂沢スコリアが風によって再堆積したのだろう。
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富士山頂火口のドローン4K動画


crescendo L DESIGNが2015年9月5日に公開したドローン動画。富士山頂火口が鮮明に撮影されていて学術的価値が高い。


画面キャプチャ

2900年前の崩壊で失われた富士山頂火口縁の特定

御殿場土石なだれをつくった2900年前の富士山崩壊は山頂火口縁まで届いた。いま山小屋がある吉田口と御殿場口・富士宮口のあいだの、火口中心から見込んで120度の火口縁がすっかり崩れた。富士山はそのあとすぐ、2300年前までの600年間で山体を再構築した。新しい山体も古い山体も2300年前の湯船第二スコリアに一様に覆われている。

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グーグル・ストリートビュー

吉田口山小屋と御殿場口・富士宮口山小屋が山頂火口縁のその位置にあるのは、再構築した新しい山体と古い山体が接合した部分に広い平坦面をもつ鞍部ができたからだ。崩壊し残った古い山体の縁に沿って登山道がつけられたこととも関係するだろう。

山頂火口縁まで切り込んだ2900年前の富士山崩壊の傷跡を、グーグルマップ3Dを利用して3方向から見た。

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南東から

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東から

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西から

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乙女峠から見た2900年前の富士山崩壊

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御殿場市は、2900年前の富士山崩壊土砂の上に成立している。

キャプチャ

富士山頂と宝永火口付近の地質図

獅子岩キプカと御殿場崩壊壁

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下半分を森に覆われた島のような地形が獅子岩。周りを新しい溶岩に取り囲まれている。このような森をハワイではキプカと呼ぶ。


獅子岩と同じ古い溶岩が左の谷壁に露出している。

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2900年前の御殿場崩壊後まもなく流れ出た大量の溶岩を黄色に塗った。滑らかな表面をなす。なだれで地表が毎春更新されるため、植生の浸入が進んでいない。

富士山の雪代


須走にある富士山グランドキャニオンの解釈は2通りある。富士火山地質図(第2版、2016)は「ほぼ連続的に重なる降下スコリア堆積物からなる」と書くが、小山真人(岩波新書、2013)は「噴火で降り積もったスコリアもあるが、大部分は泥流や雪代で運ばれたスコリアや砂と考えられる」としている。私は後者だと思う。

この泥流はスラッシュなだれとも呼ばれる。地元では雪代(ゆきしろ)と呼ばれている。斜面に積もった雪が大雨や暖気によって融けて、大量のスコリアとともに斜面を一気に下る現象である。北麓の富士吉田市は雪代がつくった広い緩斜面の上に成立している。

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斜交層理が2ヵ所で観察できる。上から降り積もったのではなく、流れが残した堆積物であることがわかる。
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富士山の登山道は、2900年前の大崩壊の両側につけられている。

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横浜市内から遠望した@fujiyamao さんの富士山写真に加筆した。須走口登山道(白)は2900年前の崩壊を免れた硬い溶岩の上につけられている。いっぽう下山道とブルドーザー道(赤)は、崩壊後の噴火でできたスコリア斜面につけられている。

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富士山は、スコリアが降り積もった東斜面が緩くて登りやすいはずだが、2900年前の崩壊後に作られたスコリア斜面は登りにくいため、崩壊し残った両側に登山道が付けられている。スコリア斜面は駆け下る砂走りとブルドーザー道に利用されている。

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富士山の氷河(第3回調査報告)

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富士山宝永火口付近の地質図

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御殿庭と宝永第三火口は氷河が残したモレーンである。ドローン写真

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モレーンの上はこういった風景が広がる。地上写真。東側、標高 2150 m。淡色の岩塊はモレーンから洗い出された。暗色の火山れきは1707年噴火のときに、ここに薄く降り積もった宝永スコリア。

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西側モレーンの上。1メートルの大きな白い岩塊。やや丸い。 標高 2120 m。

考察 私がモレーンだと思う部分を、富士火山地質図(第2版、2016)は宝永スコリアと西二ツ塚スコリア丘に塗っている。現地で地層断面を見ると、スコリア丘ではない。タフリングの可能性はあるが、それにしては火口が小さすぎる。富士山でタフリングは知られていない。こんな高所にはできそうもない。

もしタフリングなら、岩塊は空中を高く飛行して着弾したわけだから地表にインパクト構造(ボムサグ)があってしかるべきだが、一切ない。タフリングだとすると、最大傾斜の方向に細く排水しているのが説明しにくい。モレーンだとうまく説明できる。ハワイ島マウナケアのモレーンととてもよく似ている。

なぜ南側だけにあるか。宝永噴火のために森林限界が下がって地形が見やすい。御殿庭の下にもモレーンは続いているようだが、森に覆われるとよくわからなくなる。東は2900年前に崩壊して失われたが、北と西にはモレーンがあってもよさそうだ。

北と西の森林限界より上は、須走b期(5600年以降)の溶岩にモレーンは覆われてしまった。宝永火口北壁に露出する溶岩を富士火山地質図は須走b期に塗っているが、もっと古いとみられる。モレーンに覆われている。もし北と西の森のなかを調べてもモレーンがない場合は、宝永火口付近が窪地でそこだけで氷河が涵養されたと考える。

宝永山赤岩そのものがモレーンではないかと双眼鏡でじっくり観察したが、否定的結論だった。赤岩が富士山全体と不調和な形をしているのは、氷河に削られたからだろう。

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