風景に書き込まれた歴史を読み解く

The Story Behind the Scenery

富士山の雪代


須走にある富士山グランドキャニオンの解釈は2通りある。富士火山地質図(第2版、2016)は「ほぼ連続的に重なる降下スコリア堆積物からなる」と書くが、小山真人(岩波新書、2013)は「噴火で降り積もったスコリアもあるが、大部分は泥流や雪代で運ばれたスコリアや砂と考えられる」としている。私は後者だと思う。

この泥流はスラッシュなだれとも呼ばれる。地元では雪代(ゆきしろ)と呼ばれている。斜面に積もった雪が大雨や暖気によって融けて、大量のスコリアとともに斜面を一気に下る現象である。北麓の富士吉田市は雪代がつくった広い緩斜面の上に成立している。

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斜交層理が2ヵ所で観察できる。上から降り積もったのではなく、流れが残した堆積物であることがわかる。
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富士山の登山道は、2900年前の大崩壊の両側につけられている。

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横浜市内から遠望した@fujiyamao さんの富士山写真に加筆した。須走口登山道(白)は2900年前の崩壊を免れた硬い溶岩の上につけられている。いっぽう下山道とブルドーザー道(赤)は、崩壊後の噴火でできたスコリア斜面につけられている。

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富士山は、スコリアが降り積もった東斜面が緩くて登りやすいはずだが、2900年前の崩壊後に作られたスコリア斜面は登りにくいため、崩壊し残った両側に登山道が付けられている。スコリア斜面は駆け下る砂走りとブルドーザー道に利用されている。

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富士山の氷河(第3回調査報告)

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富士山宝永火口付近の地質図

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御殿庭と宝永第三火口は氷河が残したモレーンである。ドローン写真

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モレーンの上はこういった風景が広がる。地上写真。東側、標高 2150 m。淡色の岩塊はモレーンから洗い出された。暗色の火山れきは1707年噴火のときに、ここに薄く降り積もった宝永スコリア。

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西側モレーンの上。1メートルの大きな白い岩塊。やや丸い。 標高 2120 m。

考察 私がモレーンだと思う部分を、富士火山地質図(第2版、2016)は宝永スコリアと西二ツ塚スコリア丘に塗っている。現地で地層断面を見ると、スコリア丘ではない。タフリングの可能性はあるが、それにしては火口が小さすぎる。富士山でタフリングは知られていない。こんな高所にはできそうもない。

もしタフリングなら、岩塊は空中を高く飛行して着弾したわけだから地表にインパクト構造(ボムサグ)があってしかるべきだが、一切ない。タフリングだとすると、最大傾斜の方向に細く排水しているのが説明しにくい。モレーンだとうまく説明できる。ハワイ島マウナケアのモレーンととてもよく似ている。

なぜ南側だけにあるか。宝永噴火のために森林限界が下がって地形が見やすい。御殿庭の下にもモレーンは続いているようだが、森に覆われるとよくわからなくなる。東は2900年前に崩壊して失われたが、北と西にはモレーンがあってもよさそうだ。

北と西の森林限界より上は、須走b期(5600年以降)の溶岩にモレーンは覆われてしまった。宝永火口北壁に露出する溶岩を富士火山地質図は須走b期に塗っているが、もっと古いとみられる。モレーンに覆われている。もし北と西の森のなかを調べてもモレーンがない場合は、宝永火口付近が窪地でそこだけで氷河が涵養されたと考える。

宝永山赤岩そのものがモレーンではないかと双眼鏡でじっくり観察したが、否定的結論だった。赤岩が富士山全体と不調和な形をしているのは、氷河に削られたからだろう。

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御殿場土石なだれから宝永スコリアまで


富士山は2900年前に御殿場側に崩壊した。現在の山頂の東半分が食われた。そのあと600年間、山頂からせっせと噴火してほぼ修復してもとの優美な円錐形にもどった。2300年前だ。そのあと2000年間、富士山は山腹から静かに溶岩を出した。そして1707年、宝永火口から大爆発した。 (水土野交差点の南西500メートルの道路工事現場)

富士山の簡略地質図

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宝永スコリアの等値線は50 cm

富士山のステージ区分
 須走d期 山腹割れ目噴火(青木ヶ原溶岩、宝永スコリア)
2300年前
 須走c2期 山頂からスコリア噴火で修復(湯船第二スコリア)
2900年前 東側崩壊、御殿場土石なだれ
 須走c1期 山腹からスコリア噴火(大室スコリア、大沢スコリア、砂沢スコリア)
3500年前
 須走b期 山頂から溶岩流出。現火山錐
5600年前
 須走a期 富士黒土層、アカホヤ火山灰を挟む。
8000年前
 富士宮期 大量の溶岩流出(三島溶岩、猿橋溶岩)と高い円錐火山体の形成
1万7000年前 
 星山期 五合目までの土台形成、姶良丹沢火山灰がスコリア層の中に挟まる。(小富士、小御岳)
10万年

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2900年前の富士山崩壊

東麓に御殿場土石なだれを展開させた2900年前の崩壊壁の位置を決めるはむずかしい。その後の噴火で崩壊凹地がほぼ埋められてしまったからだ。それでも、小富士から望むと、崩壊壁を特定することできる。須走口登山道は、崩壊し残った古い山体の溶岩を登って、2900年前から2200年前の間にできた新しい山体表層をつくる厚いスコリアを駆け下る。



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富士山の氷河(第2回調査報告)

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モレーンは2900年前の山体崩壊から免れた。1707年宝永スコリアが50センチ以上堆積したところでは、急崖の下を除いて、地表に見えてない。

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宝永第三火口の東側にモレーンの地形が残っている。

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ハワイ・マウナケアのモレーンとそっくりだ。最低地点から排水してる。

富士山の氷河

背景 前回の氷期が2万年前に底を打ったのは昔から知られていた。2万年前は北アルプスのいたるところに氷河があった。涸沢カールや槍ヶ岳ホルンだ。もし富士山がそのときいまの高さだったなら氷河があった。しかし2万年前の富士山は、いまほど高くなかった疑いがある。富士山の標高3000メートル以上の地表すべては、5600年前から2200年前までの度重なる噴火の結果としてできた若い地層であることがわかっている。

いっぽう、2万年前に古富士泥流が何回か麓まで流れ降ったことも昔から知られていた。富士山の上に氷河が乗っていて、その下から噴火したから氷を融かして大泥流になったのではないかと何人もが想像した。私自身は、1990年ころ、都留市で沸騰パイプをもつ泥流堆積物を見た。

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2万年前ころの氷期に富士山から発生して相模川を何回か下ったラハールの堆積物にも沸騰パイプが見られる。(都留市金井)

沸騰パイプは、地表に噴出したマグマの熱が氷を融かして泥流を発生させたと想像させる。しかし、これは間接的な証拠だ。富士山の上に氷河が乗っていた直接の証拠は知られていない。モレーンや迷子石などの堆積物やカールや羊背岩などの地形が直接の証拠になりうる。

馬の背の砂礫層 1707年噴火で富士山の横腹に開いた宝永火口の東縁にあたる馬の背に、淡色の砂礫層が現在の地表に沿って堆積していることに2016年10月26日に気づいた。これはモレーンではなかろうか。

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宝永火口の東縁(ドローン写真)。砂礫層の上に登山道が付けられている。

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宝永火口の東縁(地上写真その1)

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宝永火口の東縁(地上写真その2)。地表を真上から撮影。

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宝永火口の東縁(地上写真その3)

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宝永火口の西縁(ドローン写真)。薄いがこちら側にもあるようだ。

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地理院地図

この砂礫層は、1707年スコリアの下で、宝永火口壁に露出する溶岩の上にある。産総研の富士火山地質図(第2版、2016)によると、宝永火口壁に露出する溶岩は須走b期の噴出物だという。5000年前ころだ。しかし十二薬師岩のダイク(多数)に貫かれているから、もっと古いのではないかと私は疑う。5000年前から現在までの短期間に、これほどの枚数のダイクが貫く割れ目噴火がこの方角にあったのだろうか。

2万年前から現在まで このような歴史を描くことができる。前回氷期の底を打った2万年前、富士山頂と宝永山の間はいまと違ってやや窪んでいた。そこに氷河が涵養されて縁辺部にモレーンが堆積した。5600年前から山頂噴火が続いて、裾野が宝永山まで届く優美な円錐形がいったんつくられた。しかし2900年前に山頂火口の西半分を残して東側斜面が崩壊した。その土砂は御殿場土石なだれとなって麓に届いた。宝永山赤岩はその崩壊からかろうじて免れた。崩壊した部分はその後の噴火によって修復されて、2300年前にいまの姿になった。300年前に宝永山のそばから噴火して宝永火口が生じた。

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2万年前から現在に至る富士山の模式図。

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宝永山(赤岩)を手前に配して、宝永火口と富士山頂(ドローン写真)

解決すべきこと この砂礫層をモレーンだと考えることの難点は次である。
1)表層20センチを調べただけだが、泥が混じっていない。
2)石の色が同じで、発泡してない程度も同じだ。もしモレーンなら、いろんな色のいろんな発泡度の石が混じっているのが自然だ。
3)1メートルくらいの巨礫がひとつもない。
4)現在の地表に沿って堆積していることは、あまり古くないことを示唆する。

しかしモレーンでないとしたら、これはいったい何の堆積物だろうか。他のプロセス候補を挙げるのはむずかしい。

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漫画『セクターコラプス 富士山崩壊』

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SECTOR COLLAPSE―富士山崩壊
漫画:光原 伸
原作:石黒 耀
監修:小山真人
2008年11月

259ページの漫画なのだが、読み終えるまでの時間が想像していたよりずいぶんかかった。セリフの文字数が通常の漫画より多いからなのではなかろうか。このことが、この本を手に取る読者の意欲をそいでしまわないか心配だ。しかし文字数が多い分だけ、ストーリーはよくできている。原作『昼は雲の柱』は神話部分が長くて少々たいくつだったが、漫画はこれをほとんどカットして軽快に進む。

火山の噴火あるいは災害危機管理に少しでも関心のあるひとには、大満足な漫画に仕上がっている。火山危機にさらされた社会には、さまざまな利害対立が存在することをよく描写している。ときには行政の情報よりも民間の情報が信頼できる場合があることを示したのは新しい。迫り来る火砕流からいかにして逃げるか。主人公たちは、地下シェルターに逃げ込むよく知られた手段をあっさりと見限って、思いもよらない行動に出る。

デビュー作『死都日本』で宮崎市と鹿児島市をすでに全滅させた石黒にとって、御殿場市を全滅させるのはわけのないことだったろう。しかし、宮崎市や鹿児島市をカルデラ破局噴火が襲う確率は10万年に1回だが、富士山が崩壊する確率は1万年に1回だ。今回の石黒フィクションが提示した課題をわたしたちは前回の10倍の重さで引き受けなければならない。

実名の小山教授だけでなく、登場人物の顔かたちがどれも火山業界の具体的誰かを彷彿させるので読んでいて妙な気分がした。ポニーテールの山野教授は、もちろん原作者の石黒さんがモデルだ。

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新田次郎『怒る富士』

怒る富士 上 新装版 (1) (文春文庫 に 1-36)怒る富士 上 新装版 (1) (文春文庫 に 1-36)
(2007/09/04)
新田 次郎

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新田次郎『怒る富士』は、富士山の1707年噴火を扱った歴史小説である。1974年に文藝春秋社から出版された。その後1980年に文春文庫からも発行されたが、近年は長いこと品切れ状態が続いていた。私はずいぶん前に『怒る富士』の評判を聞いて、入手を試みたが果たせなかった。

数日前、行きつけの書店で文庫版を偶然みつけた。手に取ると、1707年噴火の300周年にあたる本年2007年9月、新装版が発行されたことがわかった。上下2冊からなる。

富士山の1707年噴火では、スコリアに厚く埋まった被災地に幕府が早々と亡所宣言を出したことや、その後の伊奈半左衛門の功績を、他書を読んで私は知っていた。『怒る富士』は、そのありさまを他書にみられない現実味をもって具体的に生き生きと描き出している。佐太郎とつるの恋物語や才女おことの周りで起こる事件を推理小説仕立てで織り込みながら、幕府の正史である徳川実記や山北村鈴木文書などの地方文書を引用しつつ、前代未聞の深刻な噴火災害への行政対応がどう行われたか、住民がそれをどのように乗り越えたかを詳しく記述している。

被災地から駿府に働きに出てきた男たちを、保護する目的で同じ長屋に住わせたというのは、現代の噴火災害対応とくらべると興味深い。また、災害復興のために全国の大名から集めた金の過半を大奥改修に使ってしまったり、飢民救助の目的で幕府から支出された3万両を治水工事に流用するなど、災害に乗じて不正が行われるのはいまに始まったことではないと気づかされる。地元業者を出し抜いて江戸の業者だけで工事入札をやってしまう。韓使接待の混乱に乗じて駿府の米倉を開かせる。このような権謀術数うず巻く中で災害対応が進んでいく。

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