風景に書き込まれた歴史を読み解く

The Story Behind the Scenery

奥日光の自然観察地点


黄色は、榛名山二ッ岳軽石が観察できるところ。

中禅寺湖南岸には静かなカコウ岩のビーチがある

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中禅寺湖の西半分にはカコウ岩が露出している。南岸の白岩は、白いカコウ岩が緑の森からくっきりと抜け出していて、遊覧船がかならず立ち寄るスポットになっている。ところどころビーチになっていて、ザラメのような粗い砂が岸を敷き詰めて、透明な湖水が打ち寄せる。

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カコウ岩の新鮮な表面を探して目を近づけて観察すると、鉱物がつくる等粒状組織がわかる。カコウ岩は、地下で何十万年もかけてゆっくり冷え固まってできた岩石だ。色調によって、石英・長石・角閃石が区別できる。

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湖の東寄りにはイタリア大使館別荘記念公園がある。よく手入れされた庭と、室内から見た中禅寺湖と奥白根山の眺めがすばらしい。

戦場ヶ原の糠塚

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日光戦場ヶ原の中央にある糠塚(ぬかづか)は、国土地理院の地形図に比高5メートルほどの高まりとして表現されている。現地には環境省による説明板があって、「かつては前白根山につながる尾根だった」と書いてある。しかし、目の前の戦場ヶ原のどこにも高まりは認められない。

数十年前にここに高まりがあったのは事実かもしれない。しかしそれが前白根山につながる尾根が不十分に埋められたものだったかどうか、説明板が書くとおりに「昔の山のなごり」だったかどうかは、いまとなっては確かめられない。

ミズゴケが水分を含んで膨満していたなど湿原の表層部がつくった地形だったのではないか。糠塚をボーリングしたらすぐ前白根山の岩石に当たったとかの証拠がもしあるなら、私の説はすみやかに撤回する。


赤沼から泉門池に向かう自然研究路の脇に泥炭の断面が大きく露出していた。1500年前に榛名山から飛来した伊香保軽石(FP)が水面近くに、902年前に浅間山から飛来したBスコリア上部(BU)が断面なかほどに認められた。

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男体山の南山腹にある丸山(1368 m)は、そのサイズと傾斜から考えて溶岩ドームではなくスコリア丘だろう。小粒でなだらかだ。ブナの大木があったから、かなり古いだろう。

中禅寺湖に面した南側斜面に玄武岩の溶岩のかけらが露出していた。この地域に出る温泉は、地下に存在するだろうこの噴火がつくった割れ目を伝わって上昇してきているのだろうか。

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中禅寺湖の釣り人はみな湖の中に入り込んでいた。冷えるだろうのになぜ岸からしないのかと不思議に思って尋ねたら、フライフィッシングには背面に障害物がないことが必須なのだという。好きでやっていることとはいえ、難儀なことだ。

戦場ヶ原からみた三岳溶岩ドーム


戦場ヶ原からみた三岳溶岩ドーム。ほぼ同じサイズの溶岩ドームが南北に二つ並んでいる(前三岳と奥三岳)。ピークは一段高い地表の上に盛り上がった北側の奥三岳にある。日光白根山を除くと、奥日光でもっとも新しい火山だ。

みどり盛んな日光白根山

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前白根山からみた日光白根山(奥白根山)と五色沼。地表は、ササ、シャクナゲ、ダケカンバが層構造をつくって覆います。いまは木々の成長期にあたりますから、緑で風景が埋め尽くされています。

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菅沼からの登山道には、6世紀に榛名山から飛来した伊香保軽石が露出します。

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弥陀が池で、人なつっこいバンビの出迎えを受けました。

奥日光の静かな湖

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奥日光の刈込湖は、三岳の北側の静かな山の中にある小さな湖だ。三岳溶岩ドームが5000年ほど前に出現したときに谷をせき止めてつくった。湖の北岸には、榛名山から6世紀に飛来した伊香保軽石がつくる渚がある。左写真の山は、山王帽子山(手前)と太郎山。どちらも第四紀の火山である。

日光戦場ヶ原に浅間山Bスコリア上部

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日光白根山1649年火山灰は、従来知られていた湯ノ湖南岸で2センチだけでなく、史料が書くとおり赤沼付近に厚く堆積している。30センチほどだが、分布幅はとても狭い。そして分布軸の延長線上でも、戦場ヶ原の東に接する三本松農場ではみつからない。そこには地表直下まで扇状地の砂礫があって、クロボクがほとんどない。1649年火山灰はここに降ったが、すみやかに浸食されて失われたとみられる。

戦場ヶ原の小高い地形面を覆うクロボクの間には、榛名山から6世紀に飛来した伊香保軽石が20-30センチの厚さで挟まれている。最大粒径10ミリで、登山道側壁のクロボクの中にくっきり白さく露出する。まるで米粒のようだ。

低地では、クロボクを泥炭が置き換える。条件がよいと、伊香保軽石の上に厚さ3センチの砂層を認めることができる。最大粒径は2ミリだ。この砂を顕微鏡の下で観察すると、紫蘇輝石や斜長石などの角張った結晶粒と軽石ガラスからなることがわかる。浅間山から1108年9月26日に噴出した軽石(Bスコリア上部)だ。

伊香保軽石のすぐ下に、渋川火山灰が厚さ3センチでみつかる。最大粒径は1ミリ。顕微鏡の下で観察したところ、黒雲母を含む。結晶粒の角は丸く、表面に黄色が付着している。火山噴火によって空から降った砂ではなく、水流によって周囲の山から運ばれた砂だと思われる。

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湯滝は第三紀の火山岩がつくる山地の尾根にかかっている。5000年前に三岳溶岩ドームが地下から出現して湯ノ湖を堰きとめ、そこに滝がかかるようになった。中禅寺湖から流れ落ちる華厳の滝は、男体山の形成に伴って生じた。2万年前ころだと思われる。滝そのものは男体山から流れ出した溶岩の上にかかっている。竜頭の滝の西にある高山はカコウ岩からなる。

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日光山志にみえる白根山1649年噴火

日光白根山が慶安二年(1649年)に噴火したと、日光山志が書いている。山頂にまつってあった石造りの神社が噴火によって穴の中に崩れ落ちたので、唐銅でつくりなおした。赤沼原(戦場ヶ原)に火山灰が二三尺余(60-90センチ)積もった、という。

絶頂に日光権現を祀れる社あり。ここにてハ白根権現と崇む。社は唐銅にて造れり。承応元年奉納の銘有。此山頂焼出せしハ、慶安二年のことなるに、震動日を経て不止。当山御座主命じ玉ひ、新宮拝殿にて、八講御修行、或は妙典を誦せさせ玉ひける。其時絶頂焼破れ、赤沼原辺ヘ、焼灰二三尺余積り、上州又ハ会津領へも降ける由、焼破れし所、二町許の岩穴となり、深さ何十丈ということをしらず。往昔より勧請ありし石宮も、此時窟中へ陥りけるゆえ、唐銅に造りて奉納すといふ。(日光山志 巻之四)


『日光山志』全五巻。植田孟縉の撰。天保四年(1832)十月の成立。日光山の歴史や故実、そして行事等を詳しく述べている。古くから伝えられる日光山の古記類は、秘記として伝えられていたので、日光山の住侶でさえも容易に見ることができなかった。撰者は、幸いにもある学匠の好意によって、秘籍の大意を説示されたので、それをもとに記録したものである。(神道大系 神社編31日光・二荒山 解題による)

承応元年 1652年
慶安二年 1649年
尺 30センチ
丈 3メートル
町 109メートル


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竜頭の滝火砕流の噴出源

竜頭の滝火砕流は、男体山から1万4800年前に起こった七本桜/今市噴火のときに流れ出したと一般には考えられています。しかしそうではなく、三岳溶岩ドームの出現前に戦場ヶ原一帯を埋め尽くした火砕流噴火があって、その堆積物がつくったのではないか。戦場ヶ原から流れ出す湯川の谷を厚く埋めたため、いまの竜頭の滝部分がとくに堅く溶結した。

三岳の噴火堆積物が含んでいた炭化物の放射性炭素年代が4000年前だったと、宇都宮大学の中村洋一さんが1995年に報告しています。暦年代だと5000年前くらいにあたるでしょうか。三岳は光徳牧場の西に接する山塊です。

戦場ヶ原の縁で観察すると、火砕流堆積物の上にロームはなく、いきなりクロボクがのっています。クロボクの厚さは薄くて50センチくらいしかありません。この層序は、1万4800年前よりも5000年前を示唆します。

しかし溶岩ドームの上昇に伴う火砕流は、発泡してない岩片を噴出するのがふつうです。それは、しばしば熱雲と呼ばれます。竜頭の滝火砕流はよく発泡した軽石を大量に含むから、溶岩ドーム上昇に伴う熱雲の範疇には入りません。

日光白根山の火山地形



日光白根山には、複数の顕著な火山地形があります。座禅山の火口とそこから北に流れた溶岩(黄色)。白根山頂から北に向かって流れたが、座禅山に突き当たって東西に流れ分けた溶岩(緑色)。血ノ池地獄は火口のようにみえますが、この溶岩の中に生じた地すべり地形です。この溶岩は、行く手を座禅山にさえぎられていますから、座禅山より新しい。しかし6世紀に榛名山から飛来した伊香保軽石に覆われているから、1500年前より古い。

山頂は、西北西-東南東方向に伸びる顕著な地割れ(赤色)に横切られています。この地割れは、『日光山志』によると、慶安二年(1649年)の噴火で生じたといいます。この地割れ火口の南側には、直径300メートルほどの大きな火口をもつタフリング(青色)があります。マグマと水が接触したときにできるタフリングが山頂にあるのは不思議です。このタフリングも6世紀の伊香保軽石に覆われています。

晩秋の丸沼高原スキー場



丸沼高原スキー場のロープウエイを使うと、1400メートルから2000メートルまでの標高差600メートルを15分で移動することができます。
 山麓駅の周りのダケカンバはまだ少し緑を残した黄色い葉をつけていますが、山頂駅に降り立つと、周りのダケカンバはすっかり葉を落とし、オオシラビソの深い緑の森のなかに幹だけを露出しています。
 山頂駅から日光白根山頂までの標高差も600メートル。こちらは歩きですから、2時間かかります。登山道はよく整備されています。

日光白根山と五色沼



日光白根山(2578メートル)は、群馬・栃木県境をなす標高2300メートルの白錫尾根の上にちょこんと頭を出した小さな火山です。頭を出した高さはわずか200メートルですが、この200メートルが森林限界を突き破り、そして独立峰をなす結果、頂上から360度の景観を楽しむことができます。燧ヶ岳や日光の山々が手の届く近さに見えます。
 日光白根山は若い火山のため、地表には溶岩が露出しています。上越の山の登山道によくありがちなぬかるみがありません。まるで北アルプスの山にいるかのような爽快な登山が楽しめます。
 五色沼は、日光白根山と白錫尾根が閉じ込めた窪地の中にあります。ここは、片品川にも鬼怒川にも流れ込まない行き場を失った水面です。

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