風景に書き込まれた歴史を読み解く

The Story Behind the Scenery

高羽根沢の嬬恋湖成層

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高羽根沢の右岸の下半分と左岸全体は嬬恋湖成層がつくっています。上の二つの写真はどちらも右岸です。平原火砕流が上を覆っています。

嬬恋湖成層は、石津原軽石と空沢軽石を挟みます。25~20万年前に標高850~950メートル地点に堆積した地層です。白砂川との合流点付近で吾妻川が堰き止められて、比較的大きな湖が生じたようです。三原と応桑にも分布しています。

鬼押出しスキー場には吾妻火砕流がない

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鬼押出しスキー場の西端の崖です。天明の地表の上に、白い軽石が薄くあって、その上にするどい稜をもったガラス質の岩片が重なります。吾妻火砕流はありません。

流下中の鬼押出し溶岩が障壁になって、スキー場に吾妻火砕流が流れ込まなかったのだと思われます。

火山博物館の駐車場の南壁を見ると、東半分の上部に吾妻火砕流があるようです。鬼押しハイウエイとの立体交差点には、厚さ5メートル以上の強く溶結した吾妻火砕流が露出しています。

鬼押出し橋の下は吾妻火砕流



鬼押出し橋の東側の崖下の溶結した火砕流が何であるか、ずっとわかりませんでした。厚いところでは10メートルもあるようにみえるので、吾妻火砕流ではないのではないか、もっと古い火砕流なのではないかと疑っていました。

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崖を下って、火砕流の下を掘ってみました。天明の白い軽石の薄層を敷いて、クロボクが出てきました。吾妻火砕流でした。クロボクの下には、追分火砕流がありました。

浅間牧場交差点まで達した吾妻火砕流



吾妻火砕流に特有の赤くて丸いパン皮の岩塊が表面に濃集しています。

川原湯温泉の笹湯

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火山の調査には、温泉がおまけでついてきます。私は、川原湯温泉の笹湯がお気に入りです。浴槽を取り巻く板張りが新しくなって、木の香りが気持ちいい。300円です。

アズマイチゲ

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イチゲやカタクリは、雪がとけたあと、木々がまだ葉をつけていないほんの短い間だけ林の中に差し込む日光を利用して子孫を残します。木々の芽吹きはもう始まっています。地形と露頭の観察がしにくくなってきました。

新発見の黒岩

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羽根尾変電所の黒岩。祀ってあります。右側手前は赤岩です。

新発見の赤岩



長野原郵便局下の赤岩

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与喜屋(よぎや)の赤岩。新井橋の東詰南。

小中学校の立地

浅間山麓の小中学校が、浅間山のどの火砕流やどの土石なだれの上に立地しているかを調べました。

鎌原土石なだれ(200年前)
・嬬恋村立鎌原小学校
・嬬恋村立東中学校
・長野原町立中央小学校
・長野原町立東中学校
・前橋市立荒牧小学校
 など多数

吾妻火砕流(200年前)
・なし

追分火砕流(900年前)
・長野原町立北軽井沢小学校
・嬬恋村立西小学校
・嬬恋村立西中学校
・軽井沢町立西部小学校
・御代田町立北小学校
・御代田町立南小学校

平原火砕流(1万6000年前)
・嬬恋村立東小学校
・軽井沢町立中部小学校
・御代田町立御代田中学校
・小諸市と佐久市のほとんどの小中学校

塚原土石なだれ(2万4000年前)
・長野原町立応桑小学校
・長野原町立西中学校
・長野原町立第一小学校
・前橋市立桃井小学校
 など多数

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南へ降った軽石

千ヶ滝西区の行き止まり(地点338)で、1995年に、Bスコリアの下に2枚の軽石層があるのを観察したことがあります。



これは、そのうちの上位の軽石に相当すると思われます。軽石中に結晶が少なく、ガラス質の角張った大きな岩片が含まれることが特徴です。およそ5000年前に南に降った軽石です。軽井沢町追分

御代田町の流れ山

御代田町の居住区のほとんどは平原火砕流か追分火砕流でできていますが、そのどちらにも覆われなかったところがあります。

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それは、飯玉神社です。平原火砕流台地の中に突出しています。塚原土石なだれの流れ山だと思われます。

二枚の平原火砕流

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御代田町馬瀬口の平原火砕流は、上下二枚あります。上は白~灰色で炭化木を含みます。その頂部はピンク味を帯びています。下は黄色です。最上部を褐色の砂丘堆積物が覆っています。二枚の間に、40センチほどのシルトが挟まっていて、その最上部2センチが黒い。

同様の観察を平原の国道沿いや小諸市の南城公園でしたことがあります。最近では、北麓の濁沢で色も岩相もそっくりで炭化木まで含む露頭をみました。

現時点で私は、上は、火口から噴出した火砕流ではなく、火砕流堆積物から発生したラハールだと考えています。

平原のガスパイプ

浅間山と平原火砕流台地

きょうは、南麓を調べました。



湯川に切り取られた垂直な崖と浅間山のコントラストが美しい。平原火砕流の上面は、かんなで削ったように平らです。御代田町豊昇。

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手前左の崖を、湯川の水面に降りて撮影しました。

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西に2キロ移動して撮影しました。崖下を流れる湯川がつくった広い河原に追分火砕流の堆積物があります。ここが南側での最遠到達地点です。

浅間山の新しい地質図(4月16日版)

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まだ何箇所か調査して明らかにすべきところが残っていますが、北麓はおおむねできました。さて、南麓はいつ調査しましょうか?今秋か来春かな。

精細マップの効用

地形をよく観察して分布領域を精度よく決めたマップをかくと、できあがった領域区分をリスク評価する際の事実データとして使うことができます。精細マップの効用はそれだけではありません。それぞれの流れの特徴がよく理解できるので、より高度なリスク管理が可能になります。

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鎌原土石なだれは、吾妻川に流入する直前でも谷の中に閉じ込められることなく、台地の上にも広がって流れています。万座鹿沢口駅裏の高い崖の上から、鎌原土石なだれはたしかに滝のように流れ落ちたようです。鎌原集落の北側の平原火砕流台地の上に、土石なだれが置き去りにした黒岩がたくさんみつかります。

一方、追分火砕流はすでに述べたように、先端近くでは、しだいに低所を選ぶようになっています。平原火砕流に刻まれた幅200メートルほどの谷を下っています。

追分火砕流の上につくられた大笹集落

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大笹は、追分火砕流が吾妻川の谷を埋めてつくた平坦面の上に形成された集落です。火山ガスが滞留してつくった赤・オレンジ・黄の水平模様は追分火砕流の特徴です。このような切ったばかりの追分火砕流の穴の中にはいると、硫黄の匂いがします。

穴の向こうの舗装道路は国道144号です。

前掛山のなめらかな斜面

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前掛山のなめらかな西斜面が美しい。その名の由来がわかるような気がします。手前の水面は田代湖です。人造湖です。

東側に偏在する黒岩

鬼押出し溶岩の先端にある泉ヶ丘から始まって、嬬恋の里、プリンスランドを通って、そしてサンランドに至るライン上の地表に、多数の大きな黒岩がみつかります。このラインは、土石なだれの中心線から有意に東側に寄っています。

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これが、たぶんもっとも大きな黒岩です。上に別荘一軒とテニスコート一面がつくられています。50メートルくらいあります。全体を一枚の写真に収めるのはむずかしい。鬼押出し溶岩の先端

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塚本さんちの黒岩です。

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この場所に移動してきたとき、まだ柔らかかったことがよくわかります。大きな黒岩は、多かれ少なかれ、柔らかかった証拠をその外形と表面のひび割れに残しています。

これほど大量の柔らかい安山岩を供給するには、山頂火口から瞬間的に放出するメカニズムでは不可能だと思われます。そんなことをしたら、マグマは溶岩ではなく、よく発泡してみずからを粉砕して軽石になってしまいます。

2日前から鬼押出し溶岩として北山腹を下っていた高温岩体が供給源だったと考えれば、この困難は回避できます。

もっとも遠くまで達した火山弾

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この岩は丸い外形とガラス質であることから、20世紀のブルカノ式爆発のときに浅間山頂火口から飛来した火山弾だと思われます。山頂火口中心から測って5.5キロの距離にあります。

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西の吾妻火砕流の上に建つ別荘



地表直下にある厚さ50センチほどが吾妻火砕流です。浅間山頂火口から4.8キロの距離にあります。

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沢を下ると、溶結しています。

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吾妻火砕流の下には、20センチのクロボクを挟んで別の火砕流があります。クロボクのちょうど真ん中に厚さ3センチの軽石層が挟まれています。

色の割振り

きいろ 鎌原土石なだれ
やまぶきいろ 沓掛泥流
だいだいいろ 吾妻火砕流
しゅいろ 鬼押出し溶岩
きみどり 追分火砕流
ふかみどり 古滝火砕流
ももいろ 平原火砕流
あお、みずいろ 塚原土石なだれ(作業図では、むらさき)

あか 前掛山の溶岩
ちゃいろ 蛇堀川泥流
あかちゃいろ 仏岩
あかむらさき/おうどいろ 小浅間山、離山
みどり 黒斑山
ふかみどり 黒斑山の溶岩、石尊山

おうどいろ 姥が原
はいいろ 三原層(作業図では、みずいろ)
むらさき 太子火砕流、志賀WT(作業図では、あかちゃいろ)
ちゃいろ 王城TB
ふかみどり 第三紀の溶岩

観察地点は、示さない。
黒岩と火山弾は、朱で。

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鎌原観音堂はギリギリだった

鎌原土石なだれは、従来から知られている小熊沢だけでなく高羽根沢と小宿川も下って吾妻川に出ました。鎌原土石なだれは吾妻川に流入する2キロ手前から、山麓全体を覆って流れることをやめました。下松原開拓、向原などの台地を避けました。それらはキプカとして残りました。

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92人が駆け上って助かったとされる鎌原観音堂は下松原開拓の台地の一部です。ここが土石なだれに飲み込まれなかったのは偶然だったと言ってよいでしょう。観音堂が土石なだれの災厄から完全に逃れられる安全な場所だったとは言えません。観音堂に駆け上がれば命が助かると彼らが思ったとしても、結果がたまたまよかっただけです。もう少し流れの勢いが強ければ、観音堂も飲み込まれるところでした。

向原と鎌原が同じ平原火砕流からなる台地なのに、後者が襲われて前者が襲われなかったのは、台地の高さの違いによります。鎌原は向原より30メートルほど低い。1万5900年前の平原火砕流噴火の直後に、吾妻川そばの火砕流堆積物から二次爆発が頻繁に起こりました。鎌原の火砕流堆積物の表層はそのとき大きく浸食されて失われました。200年前に起こった鎌原村の悲劇は1万5900年前のつけがもたらしたものだったのです。

鎌原土石なだれの観察適地

鎌原観音堂の2キロ南の上ノ原では、鎌原土石なだれが残した地層と地形の特徴をほとんどすべて見ることができます。



流れ山です。山頂に標高点があります。国土地理院2万5000分の1地形図上の1018メートル点でしょう。

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この写真には、たくさんの地質要素が写っています。平原火砕流の上に嬬恋軽石がのっています。ロームやクロボクを挟むことなく、その上に鎌原土石なだれが直接のっています。土石なだれの頭部が浸食して通過したあと、胴部および尾部が堆積物をここに残したと解釈できます。地表には、黒岩と流れ山がみえています。

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高羽根沢のそばまで移動すると、ロームとクロボクの上にのった鎌原土石なだれを見ることができます。パッチワークが確認できます。

1783年8月から現在までに地表に堆積したレスはほんのわずかです。10センチにも満たないことが、この地形が新しくつくられたことを証明しています。そして、そのような候補は鎌原土石なだれしかありません。

古い土石なだれ

下松原開拓に、塚原より古い土石なだれの堆積物が露出しています。



左下に見える青灰色の岩体がそうです。

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近づくと、このように見えます。破砕された火山岩からなります。これは、高羽根沢に露出する嬬恋湖成層中に挟まれている土石なだれに相当すると思われます。23万年前です。

上ノ原の土取場、それから鎌原小学校の西側の丘も、この古い土石なだれが残した流れ山だと思われます。

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嬬恋軽石の下90センチ(一番上の写真の矢印部分)には、直径2ミリの白色軽石が厚さ16センチで認められます。粒径から考えて、これは浅間山の軽石ではなく、やや離れた火山から飛来したものと思われます。

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浅間北麓の姶良丹沢火山灰

浅間北麓で、姶良丹沢火山灰を初めて見ました。上ノ原と高羽根沢の中間にある土取場です。



嬬恋軽石の下に、塚原土石なだれの薄い層があり、その下にBP軽石、そして姶良丹沢火山灰があります。すべて間にレスを挟んでいます。

姶良丹沢火山灰を2万8000年前と仮定することによって、塚原土石なだれを2万4300年前、嬬恋軽石を1万5900年前と決めました。浅間山の東方にあたる高崎付近でのテフラ・レス層序によって決めましたが、この断面で直接決めることもできます。

しかし火山から少し離れた東方の台地上のほうが地層断面がたくさん得られますし、レス堆積の等速性も期待できますから、ここでは逆に、そこで求めた年代を使ってこの地点のレス堆積速度を計算してみましょう。

 嬬恋/110cm/塚原/15cm/BP/17cm/丹沢

ですから、塚原の前後で、この場所のレスの堆積速度は0.09mm/年から0.13mm/年に少し増えています。

姶良丹沢火山灰の下にレスが3メートル堆積していますから、ここでは過去6万年間の地層を見ることができます。姶良丹沢火山灰の下には、150センチのところにオレンジ色の軽石の薄い層が一枚あるだけです。黒斑山の成長過程を北麓のテフラで推し測ることはむずかしい。

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浅間山の崩壊土砂の上に建つ群馬県庁

2万4300年前に崩れた浅間山の土砂は、吾妻川と利根川を下って前橋まで達しました。



群馬県庁は、その崩壊土砂の上に建っています。塚原土石なだれはここまで来ると、パッチワークも流れ山もありません。しかし、その厚さは10メートルあります。

上部に見える水平の縞模様は、1万5900年前の平原火砕流の噴火のときに前橋に降り積もった軽石と火山灰です。

地形分類図と地質図の合体

地質学者は、地層断面を観察して、どこにどんな地層が露出するかを色分けした地質図をかきます。一方、地形学者は平坦面や斜面を分類して、地図をいくつかの領域に塗り分けた地形分類図をかきます。

これまで私は、八木地質図と荒牧地質図を更新することを念頭において作業してきました。しかし、ここに来て、地質図よりむしろ地形分類図をつくるほうが望ましいと考えるようになりました。ハザードマップとしての利用を考えると、そうしたほうが表現しやすいと考えました。

ただし地形分類図だけにしてしまっては、情報の一部が失われてしまいます。地形分類図と地質図の両側面をもった新しいタイプの地図をつくることを目標にすえることにします。



現在の作業マップです。地質境界だけでなく地形境界も鉛筆で書き加えました。この図では、平面と斜面が同じ色で塗ってあります。この点を改良する必要があります。

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