風景に書き込まれた歴史を読み解く

The Story Behind the Scenery

前掛山斜面に貼り付いた吾妻火砕流



前掛山の斜面に吾妻火砕流の溶結部が薄く貼り付いています。右から手前に流れ下っているのは鬼押出し溶岩。右上に千トン岩がみえる。

ブロック溶岩とスコリアラフト



鬼押出し溶岩の表面は典型的なブロック溶岩で覆われています。水あめのような状態の高温溶岩の表面が冷えて固まろうとするときに、内部から押されてこのように割れます。数十センチの大きさと、平滑な面とするどい稜が特徴です。

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横から見ました。溶岩ブロックは斜面を崩れ落ちて、崖錐(がいすい)を形成します。左背後に小浅間山溶岩ドームがみえています。やはり周囲を崖錐で囲まれています。ふたつの傾斜がほとんど同じであることに注意。

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ただし、一部には天を突くスコリアラフトもみられます。山頂火口縁で溶岩流に取り込まれたスコリアラフトは軽いので、高温溶岩の表面に浮かんでここまで運ばれてきました。

上の舞台溶岩を覆うBスコリア上部



上の舞台溶岩の上には、Bスコリア上部がのっています。したがって、上の舞台溶岩は1108年9月26日にはすでにいまの場所にあったと思われます。

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左側の斜面の接写です。黒と白からなる特徴的なBスコリア上部です。高温溶岩で下から加熱されたようにはみえません。上の舞台溶岩は1108年噴火の産物ではなく、もっと古いのかもしれません。これを確かめるには、Bスコリア上部の基底を掘り出して、そこに追分火砕流があるかどうかを確かめればよい。

上の舞台溶岩の上を通過した吾妻火砕流



吾妻火砕流の表面には、このような赤くてひび割れた特徴的な岩塊がみられます。ここは、六里ヶ原です。

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六里ヶ原の西に高さ50メートルの台地があります。上の舞台溶岩です。この上にも同じ岩塊がたくさんみつかります。吾妻火砕流はこの高台の上も流れ下ったのです。遠くに鬼押出し溶岩が見えています。

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上の舞台溶岩の西端は吾妻火砕流に覆われていません。むこうに見える森が覆われなかった領域です。

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森の中に足を踏み入れると、このように下草がうっそうとしています。一方、吾妻火砕流が通過した領域はまだ表土にほとんど覆われていません。砂礫が露出しています。部分的に、ガンコウランやミネズオウなどの矮小低木がみられるだけです。

吾妻火砕流の断面



岩は硬いですが、大小の粒子からなっているから溶岩流ではないことがわかります。マグマが爆発によって粉砕されたあと、一団となって地表をはって流れてきました。これが火砕流です。ここに定着したあともまだ高温だったため、ふたたびくっついて硬くなりました。粒子の角が取れていることに注意。流下中に互いにこすれて丸くなったのでしょう。

噴火の年月日

史料と堆積物の研究からわかった浅間山噴火の年月日をまとめます。

○2004年
 9月23日   百トン岩

○1950年
 9月23日   千トン岩

○1783年
 8月5日10時 鎌原熱雲+土石なだれ
 8月4日夜  峰の茶屋の軽石(A, M4.5)
 8月4日午後 吾妻火砕流
 8月3日   鬼押出し溶岩
 7月28日   六里ヶ原の軽石(M2.8)
 7月17日   溶岩樹型の軽石(M2.7)

○1596年
 夏     六里ヶ原の軽石(A', M2.7)

1108年
 9月26日から 北軽井沢のスコリア(B上部, M4.5)
 8月30日   追分火砕流
 8月29日   軽井沢のスコリア(B下部, M4.6)

○1万5800年前
 夏     嬬恋軽石(M5.4)

○2万4300年前
 不明    塚原土石なだれ

押切端のカツラ

押切端にある王領地の森を、ブナを探して歩きました。大きなカツラをみつけましたが、ブナはみつかりませんでした。地蔵川の流域には、手付かずのすばらしい自然が残されています。


追分火砕流堆積面の起伏

平原火砕流や塚原土石なだれは、起伏に富んだ地形をすっかり埋め立てて平坦面をつくりました。追分火砕流は、それほど厚くもなく、かといって薄くもなく、10メートルほどの厚さで地形を覆いました。



だから、その表面は元の地形を反映して、これくらいの起伏があります。群高の牧草地

北軽井沢に広がった追分火砕流

北軽井沢の胡桃沢を埋めた追分火砕流が10メートル以上に厚さをもっていることは、知っていました。しかし、くりの木プラザから大学村にかけての平坦面をどれくらいの厚さで覆っているのかは、わかりませんでした。



北軽井沢小学校のそばの農地に掘られた穴です。8メートルほどの深さがありますが、追分火砕流の基底はみえません。想像していたよりずいぶん厚いことがわかりました。

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追分火砕流の上にBスコリアの上半部がのっています。火砕流とスコリアの間には、さまざまな程度に赤味を帯びて成層した火山灰が挟まれています。近所の追分火砕流堆積物が二次爆発して降り積もった火山灰だと思われます。横なぐり噴煙からの堆積物と見られる部分もあります。

この場所のように火砕流堆積物の上面がそのまま保存されていることは、めったにありません。ふつうは噴火後すみやかに水流によって洗い流されてしまいます。この場所は、4週間後にBスコリア上部によって被覆されたために浸食されずに残りました

峰の茶屋に露出する1783年軽石と1108年スコリア

峰の茶屋にある東大火山観測所の敷地内で1783年軽石を観察することができます。運がよいと、1108年スコリアの上部まで見えます。



1783年軽石の下半分は、8月2日午後から50時間の堆積物です。軽石のサイズの違いが縞模様をつくっています。噴煙柱がまだ不安定で、高さが上下したことがわかります。間に挟まっている何枚かのオレンジ色の薄層は、8月4日午後に発生した吾妻火砕流から舞い上がってここに降り積もった火山灰です。

上半分は、8月4日夕刻から翌朝までの10時間で降り積もりました。高い噴煙柱が安定して持続した結果です。

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20センチほどのクロボクを挟んで、その下に1108年スコリアが見えています。15センチほどのピンク色の層は、追分火砕流から舞い上がってここに降り積もった火山灰です。その上下にスコリア層があります。下は、8月29日の噴火、上はその4週間後の9月26日から数日続いた噴火でつくられました。下のスコリアの基底は露出していませんが、1メートルくらい下にあります。

ピンク色火山灰の上面が浸食されていますから、4週間の静穏はそこにあったと判定できます。したがって、追分火砕流は8月29日の直後、おそらく8月30日に発生したと思われます。

史料から解読した天明三年噴火

田村知栄子さんといっしょに地学雑誌に書いた論文「史料解読による浅間山天明三年(1783年)噴火推移の再構築」の全文をウェブで公開しました。1995年に書いたこの論文は、次の6つの主張が新しかった。

1)噴火開始は5月9日でなく,5月8日だった。
2)8月4日夕方,軽井沢で降ってきた軽石に当たって死んだのは一人でなく二人だった。
3)8月4日夕方から,湯川を熱泥流が何度も下って沓掛(中軽井沢)の住家に被害を及ぼした。
4)鬼押出し溶岩は,8月4日深夜の軽石噴火クライマックス中に盛んに流出した。
5)荒牧の鎌原火砕流は,二つの火山現象(岩なだれと熱雲)から構成されていた。
6)鎌原土石なだれ+熱雲の発生源は山頂ではなく北山腹だった疑いがつよい。

4)の鬼押出し溶岩は、吾妻火砕流が流れた8月4日午後にはすでに火口から北側に2キロ程度流れ下っていたといまは考えています。

6)については、その後の調査研究で山腹発生を支持する証拠が増えています。一方、山頂発生の証拠は増えていません。鎌原土石なだれの発生源が鬼押出し溶岩の先端であることは、学術的に立証できたと言ってよい段階に達したと私は考えています。

押切端の明るい森

地蔵川の上流域には押切端(おしぎっぱ)の森が広がっています。1783年噴火のクライマックスの前日(8月4日)、浅間山頂火口からあふれだした吾妻火砕流が六里ヶ原に広がりました。吾妻火砕流の「押し」からかろうじて免れて焼け残った森、それが押切端の森です。

押切端の森は、1108年8月30日に山頂火口から流れてきた追分火砕流の上にあります。追分火砕流は谷を埋めて、ここに平坦な土地をつくり出しました。それからまだ900年しかたっていません。新しい谷である地蔵川の切り込みはまだ浅い。

1200メートルだからブナがあってもおかしくない標高なのですが、みつかりません。若い森だからでしょう。ミズナラ、コナラ、クリなどの落葉樹が薄い表土の中に根を広げています。でも、深いところまではなかなか根が張れません。根こそぎ倒れた木を森の中でよく見ます。

押切端は、たくさんの若くて細い木々で覆われています。ここは、うっそうとした森ではなく空が透けて見える明るい森です。この森の四季を描いた美しい絵本を紹介しましょう。

森のはるなつあきふゆ―オシギッパのもりでみつけた 森のはるなつあきふゆ―オシギッパのもりでみつけた
文・岸田 衿子、絵・古矢 一穂 (1994/12)
ポプラ社

地蔵川の追分火砕流

追分火砕流の堆積物を観察するのに適した場所をみつけました。地蔵川に沿う100メートルほどの砂利道です。近くを通行する自動車は舗装道路を走りますから、この砂利道には侵入してきません。安全に思う存分観察することができます。児童生徒の野外見学地点として最適です。バスは舗装道路と砂利道の交差点に停められます。

砂利道を歩くと、火砕流のみかけが徐々に変化していきます。基本的な特徴は保持しているものの、火砕流堆積物のみかけが場所によって変わることを実感することができます。砂利道が地蔵川を横切る地点で、堆積物をさわることもできます。



河床に露出するのは、嬬恋軽石を覆うカラフル火山灰(1万5900年前)。

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溶結して箱型峡谷をなす。

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