風景に書き込まれた歴史を読み解く

The Story Behind the Scenery

釜山の形成位置と南斜面の熱変形

釜山は1783年の噴火で浅間山頂の前掛火口の中に生じた小火山です。底径1キロメートル、高さ100メートルです。中央に直径300メートルの火口が開いています。いまの浅間山の中心火口です。

釜山は前掛火口の中心から北側にずれた位置に生じました。そのため成長開始後まもなく北側斜面が前掛斜面と一致してしまい、北側への成長が阻まれました。釜山の北側火口縁は他の方角のようには高くなれませんでした。このために、1783年噴火のときにこの火口から発生した流れは、樽木の一番低い部分から水がこぼれ落ちるように、すべて北側へ向かいました。鬼押出し溶岩と吾妻火砕流です。

南側への成長は前掛火口原を越えることがありませんでした。釜山の南斜面と前掛山の南斜面はいまでも食い違っています。釜山の斜面は前掛火口原の上で終わっています。

釜山の南斜面は安息角(あんそくかく)の崖錐(がいすい)斜面だけで構成されているのではなく、標高2480メートル付近に緩斜面があります。


地図に赤く着色した部分です。これは、内部のまだ熱い岩石が堆積後に重力の作用でゆっくりと変形して生じた地形だと考えられます。内部変形によって南側へ移動した距離は100メートルほどです。

軽石も鬼押出し溶岩の上にのっている


鬼押出し溶岩の上には吾妻火砕流だけでなく、軽石ものっています。地表に露出しています。直径数センチ、大きいものを10センチを超えます。

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その接写。1783年軽石と同じ色と発泡形態です。この軽石が分布する地表の下にはかならず吾妻火砕流があるようです。したがって、これは1783年8月4日夜に降った軽石だと思われます。

ここは分布軸から離れていますが、火口中心からわずか2.1キロの距離ですから、高さ30キロの噴煙柱から時折こぼれ落ちた軽石だと解釈できます。

鬼押出し溶岩の上にのる吾妻火砕流


鬼押出し溶岩の上に吾妻火砕流の堆積物を確認しました。鬼押出し溶岩全体を左手と見て、親指と人差し指の股にあたる場所です。標高1730メートル、舞台溶岩の上です。

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拡大写真です。吾妻火砕流に特徴的な丸くてひび割れた赤い岩塊です。
舞台溶岩の上で見つかる吾妻火砕流と同じ岩塊です。

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吾妻火砕流のマトリックス部分は鮮やかな赤色の砂です。この地層が、そのあと前進を継続した内部の鬼押出し溶岩によって戦車のキャタピラのように丸め込まれています。

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鮮やかな赤色の砂の接写。

吾妻火砕流は、1783年8月4日午後に発生しました。したがって、鬼押出し溶岩はそれ以前に流れ始めていたことが確実になりました。鬼押出し溶岩は、8月5日10時の鎌原事件によって1400人が犠牲になったあと、山頂火口からが人知れず流れ下ったと長い間信じられてきましたが、12年ほど前から私は、もっと早くから流れ始めていたに違いないと疑い始めました。

これまでは、鬼押出し溶岩の表面にみつかるスコリアラフト、吾妻火砕流の流れ分け、鎌原土石なだれの構成物質と発生メカニズムなどからそう結論づけていましたが、きょうの現地調査で、その推論が事実だったことを証明できました。

現地調査助手ありがとう、金井智之君。

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