風景に書き込まれた歴史を読み解く

The Story Behind the Scenery

天めいの生死をわけた十五段

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鎌原観音堂に上がる石段には、赤い太鼓橋がかけられています。30年前、地下に続く石段を発掘したひとたちが掘った穴の上にかけた。観光客は、太鼓橋を渡って観音堂におまいりします。

いつもはこの太鼓橋の下をのぞきこんで地下に続く石段を確認しますが、5月の連休のあと、太鼓橋が突然なくなっていました。おかげで、30年前に掘った穴の両壁に積まれた石がよく観察できました。

1ヵ月後、きれいに朱に塗られた新しい太鼓橋が再びかけられていることを確認しました。

浅間火山北麓の2万5000分の1地質図 まもなく入稿

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著者 早川由紀夫
2007年7月20日
発行 本の六四館 北軽井沢くりの木プラザ(0279)84-6460
A2サイズ両面カラー印刷 500円

地質図は、地表をつくっている地層を見分けて塗り分けた地図である。浅間山の北麓は、(1)江戸時代の噴火(2)平安時代の噴火(3)1万5800年前の噴火(4)2万4300年前の山体崩壊でできた地層でほとんど塗り分けることができる。

自分の家や学校が浅間山のいつの噴火でできた土地の上に建っているか、この地質図をみて確認しよう。

浅間山にはこれまで5万分の1地質図があったが、それは専門家向けのものだった。この2万5000分の1地質図は、縮尺を単に2倍に拡大しただけでなく、デジタル地図を利用して地形を立体的に表示してある。このため初心者でも浅間火山北麓の地形を簡単にイメージすることができる。また地質の塗り分け数を最小限にしたから、わかりやすい。説明は専門用語をできるだけ使わずに平易に書いた。やむを得ず使った地学用語の解説を下に用意した。

この地図に示した地質境界は、新規の現地調査に基づいてすべて新しく引き直してある。場所によっては、従来の地質図から大幅な変更があった。

地学用語解説
姶良丹沢火山灰 鹿児島湾の姶良カルデラから2万8000年前に噴出して、日本全土に降り注いだ火山灰。あいらたんざわかざんばい。
安山岩 日本の火山でごく普通に見られる火山岩。玄武岩と流紋岩の中間の性質をもつ。
角閃石 火山岩を構成する鉱物のひとつ。黒色で光沢がある。かくせんせき。
火砕流 噴火のときに、軽石や火山灰が一団となって地表を流れ下る現象。かさいりゅう。
火山弾 火山爆発のときに、火口から放物軌道を描いて空中を飛んで着地した岩塊。
火山礫 砂より粗い粒子。直径2mmから64mm。かざんれき
火道 火口から地下にまっすぐ伸びた筒状の通路。噴火のときにマグマがここを通る。かどう。
ガリー 雨水が地表を流れて刻んだ溝。雨裂。
岩塊 火山礫より大きい粒子。64mm以上。がんかい。
岩片 岩石の破片。発泡してないものをいう。がんぺん。
キプカ 新しい溶岩に取り囲まれた古い土地。ハワイ語。キプカには自然豊かな森が残っている。
クロボク 地表直下にある黒い土。浅間山が噴火しなかったときに堆積した地層。浅間北麓ではクロノボウと呼ばれる。
サージ 火砕流の一種。残された堆積物に斜交層理がみられるものをしばしば言う。
斜交層理 地層の縞模様が水平方向に収れんしていく構造。
斜長石 火山岩を構成する鉱物のひとつ。白濁している。
シルト 砂より細かい粒子。0.06mm以下。
スコリア 黒っぽい色をした軽石。
スコリア丘 火口の周りに集積したスコリアがつくった小さな火山体。スコリアきゅう。
スコリアラフト 溶岩の上に浮かんで運ばれたスコリアのかたまり。
第三紀 地質時代のひとつ。6000万年前から200万年前まで続いた。だいさんき。
地質図 地表をつくっている地層を見分けて塗り分けた地図。土地の成り立ちを理解するための基本資料。
土石なだれ 火山体の崩壊で発生する高速の土砂流。
流れ山 土石なだれの堆積物表面に特徴的に見られる小山。
熱雲 火砕流の一種。溶岩ドームや溶岩流の先端から発生したものをしばしば言う。ねつうん。
波状堆積 表面に波打ちが見られる堆積様式。
パッチワーク構造 土石なだれの堆積物断面に特徴的に見られる構造。異なる色や岩種からなる不規則なかたちをした土塊が隣り合う。
パン皮火山弾 フランスパンのようなひびが表面に入った火山弾。パンがわかざんだん。
プリニー式噴火 火口の上に高い噴煙柱が立つ爆発的噴火。噴煙の高さは10km以上に達し、数時間から数日継続する。風下に多量の軽石が降る。
ブルカノ式爆発 火山で起こる単発の激しい爆発。噴煙の高さは10km以下に留まる。風下に石が降る。
ブロック溶岩 平滑な表面で囲まれたブロックが積み重なった溶岩。
マグマ 地下で高温状態に置かれたために融けた岩石。
溶岩ドーム 火口内に顔を出した溶岩が、流れ広がることなく、そのまま盛り上がってつくった火山地形。
溶結 軽石や火山灰が、堆積後でも十分高温だったために、互いに固くくっつきあう作用。火砕流の堆積物にしばしばみられる。
ローム クロボクの下にある黄褐色の土。浅間山が噴火しなかったときに堆積した地層。

大きな柳井沼と地下水システムが鎌原土石なだれの原因か

柳井沼の基本地形は、1万5800年前の平原火砕流噴火の直後にできていた。そして、その大きさはいまの北に開いた馬蹄形凹地とほぼ同じくらい大きかったのではないか。

平安時代の1108年8月、追分火砕流がその大きな柳井沼の中に流れ込んだ。この噴火のあと、表面地形としての沼はずっと小さくなったが、浅間山からあふれ出す大量の水は、地下水として元の地表すなわち追分火砕流の堆積物基底をとうとうと流れ続けた。

江戸時代1783年までの675年間、この地下水システムはかろうじて安定を保っていたが、8月5日10時に鬼押出し溶岩の先端で起こった爆発をきっかけに、地下水面より上にあった追分火砕流の堆積物全体がそっくり北側にすべり落ちてしまった。これが、鎌原村を襲った土石なだれになった。つまり、鎌原土石なだれになった土塊の過半は、675年間準安定状態にあった追分火砕流の堆積物だった。

上記の推論(モデル)は、これまで野外で獲得された地質学的事実のどれとも矛盾しないし、いくつかの重要な特徴を説明する。

鎌原土石なだれが残した堆積物の断面には、クロボクやロームがパッチとしてたくさんみつかる。ロームはもちろんクロボクも、追分火砕流の下にあった地層だ。追分火砕流の上のクロボクは、まだ薄く10センチに達しないから、これに該当しない。北へ動き出した土塊が追分火砕流と平原火砕流の境界層(クロボク/ローム)を含んでいたことは間違いない。この境界層そのものがすべり面になったとみるのがもっともらしい。

鎌原土石なだれは「乾いていた」と強調されることがある。堆積物の断面にパッチワーク構造が認められるから確かにそうなのだが、とくに東側の地層断面で、じゃぶじゃぶの水とともに流れた痕跡も認められる。百度で沸騰した泥水の中に生じた小さなパイプ構造がしばしばみつかるのだ。鎌原土石なだれは、場所によってその流れの様式が大きく違っていた。それは、土塊の部分によって含水率が大きく違っていたことに起因すると考えるとうまく説明できる。

浅間火山北麓の2万5000分の1地質図

昨年3月からここに書き溜めてきた内容を一枚の紙の両面にまとめました。「浅間火山北麓の2万5000分の1地質図」です。北軽井沢くりの木プラザ内の「本の六四館」などで、7月20日から販売します。

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地質図は、地表をつくっている地層を見分けて塗り分けた地図のことです。浅間山の北麓は、(1)江戸時代の噴火、(2)平安時代の噴火、(3)1万5800年前の噴火、(4)2万4300年前の山体崩壊でできた地層でほとんど塗り分けることができます。

自分の家や学校が浅間山のいつの噴火でできた土地の上に建っているか、この地質図をみて確認しましょう。

浅間山にはこれまで5万分の1地質図がありましたが、それは専門家向けのものでした。この2万5000分の1地質図は、縮尺を2倍に大きくしただけでなくデジタル地図を利用して立体表示していますから、専門家でなくても容易に読みとることができます。もちろん新規に現地調査をおこなって、地質境界をすべて新しく引き直してあります。場所によっては、大幅な変更がありました。

著者
早川由紀夫(群馬大学教育学部教授)

仕様
A2サイズ両面カラー印刷
12折り、ポリ袋入り
価格 500円

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