風景に書き込まれた歴史を読み解く

The Story Behind the Scenery

浅間天明噴火の死者数は1492人

天明三年七月八日(1783年8月5日)に発生した鎌原岩なだれと、それから転化して吾妻川を下った熱泥流に巻き込まれて死亡した人の数を、これまで私は1400人と言ってきたが、よく調べたら1490人だったことがわかった。

大笹村名主だった黒岩長左衛門の『浅間山焼荒一件』(萩原史料2巻99-105)によると、翌天明四年七月、善光寺から受け取った経木を吾妻川の各村に死者の数ずつ配った。それを集計すると1490人になる。この数字は、幕府勘定吟味役だった根岸九郎左衛門『浅間山焼に付見分覚書』(萩原史料2巻332)の集計1124人とおおむね一致するが、根岸の集計にはない村が合計数を増やしている。

このほかに、前日(8月4日夕刻)軽井沢宿で、空から降ってきた焼石に当たって青年2人(丈次郎と寅之助)が死亡したから、天明噴火による死者合計は1492人になる。内訳は、群馬県1490人、長野県2人である。

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