風景に書き込まれた歴史を読み解く

The Story Behind the Scenery

5世紀末の熱雲は勝山小学校まで達しなかったようだ

榛名渋川噴火の堆積物がみえる工事現場の崖を精査しました。場所は前橋市立勝山小学校の北、新田町階段の下です。

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表面を削ってよく観察しましたが、熱雲の堆積物はここまで届いていないようにみえます。

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基底の火山灰が特徴的な小豆色がをしています(左)。その上に、還元状態を示す青色も認められます(右)。青色の下、小豆色の上の砂層は熱雲の堆積物である疑いが若干残りますが、おそらく違うだろうと思います。

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渋川火山灰の下に120センチのクロボクを挟んで、厚さ15センチの黄色い軽石が挟まれています。軽石の最大粒径は2センチです。軽石の粒を割ってみると、浅間山の1783年軽石とよく似ています。これも浅間山の軽石で、総社軽石と呼ばれています。クロボクの中に挟まれていますから、その年代はちょうど1万年前ころだと思われます。

前橋市内を流れる利根川の崖観察

前橋市内を流れる利根川の西岸に地層を露出する崖がいくつかあります。きょうは、中央大橋から上毛大橋までの区間のサイクリングロード沿いを観察しました。まだ新緑が始まったばかりですから、観察可能です。来月になると葉に覆われてみにくくなるでしょう。



板鼻黄色軽石(YP)の上にカラフル火山灰がのっています。その上に平原火砕流堆積物から発生したラハールの堆積物がのっているようです。利根川でこの時期のラハール堆積物をみたのは初めてです。

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大渡自動車教習所脇の川原に赤岩がまだありました。この赤岩は1996年に群馬大学生が発見して記録しました。赤岩は、塚原土石なだれの中にみられる特徴的な岩石です。黒斑山(古い浅間山)の心棒をつくっていた岩石です。

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クロボクの上にのる白い地層は、牛池川ラハールと呼ばれます。9660年前に榛名東麓に発生しました。YPの下に塚原土石なだれの堆積物が見えています。

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これは5世紀末に伊香保で起こった渋川噴火の堆積物だと思われます。いわゆるFA噴火です。基底に小豆色火山灰があり、その上にピンク~青色の火山灰が層をなして積もっています。その中には葉の化石が含まれます。オレンジ色の火山灰の上にはデイサイトの砂礫が重なります。これはラハールによる堆積物でしょう。この地点まで熱雲が達したかどうか、精査する必要があります。

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上毛大橋は東に大きく傾いて利根川の上に架かっています。西側が東側より30メートルも高い。10メートル分は2万4300年前の塚原土石なだれ堆積物が東側では浸食されて失われたのに、西側では堆積当時のまま存在するからですが、残り20メートル分は2万0000年前に陣場土石なだれ堆積物がその上にのったからです。他の橋と上毛大橋東詰は利根川に架かっているが、上毛大橋西詰は榛名山に架かっていると言ってもよいでしょう。

1メートルの軽石に埋まっても中山道は残った



横川の峠の湯は、桜が満開でした。中山道は、杉林の向こうに見える高い山(刎石山はねいしやま)の上に続きます。

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つづら折りの急坂のあと、こんな道になります。足元に、刎石山の溶岩のかけらが散乱しています。

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振り返ると、坂本宿。木に葉がついていないので、見通しよく観察できました。

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刎石山の溶岩の断面です。柱状節理だという説明板がありますが、これはむしろ板状節理です。急斜面をギシギシ流れ下った溶岩に特徴的な構造です。

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軽石が露出していました。一番上の白い軽石は1783年8月の天明噴火によるものです。1メートルほど積もっています。これだけ積もってもこの中山道は廃棄されませんでした。むしろ、ふかふかして膝にやさしく歩きやすくなって旅人に歓迎されたかもしれません。

富士山の800年噴火で足柄路を廃して箱根路を開いたは、黒い軽石が街道を埋めたからではなく、地震によるがけ崩れで通行困難になったからではなかろうか。古代人にとって、火山噴火と地震を峻別して記述するのは困難だったろうと思いますから。

白糸の滝の不思議な平坦面

峰の茶屋から、白糸の滝を経て、旧軽井沢に下る有料道路は以前は未舗装区間が多かったが、いまは走りやすくなった。片道300円だ。



白糸の滝。小浅間溶岩ドームが出現する直前にその火道から噴出した白糸軽石が5メートルほどの厚さで降り積もっている。その基底から水が白糸を垂らしたように流れ落ちている。この地域には、2万4300年前に塚原土石なだれが堆積したあと、広い平坦面が形成されて、そこかしこに水面が生じた。本州の脊梁にあたる場所の地形としては異例である。

浅間山から降り積もった軽石や火山灰は浅い水中で再堆積して、池の底にシルトや粘土層として堆積した。これが白糸の滝をつくる不透水層をつくっている。このシルト粘土層の間には板鼻褐色BP3軽石が挟まれている。2万0800年前に噴火した白糸軽石の上には、そのあと浅間山から何度も噴出した軽石や火山灰と、それの再堆積層(ロームとクロボク)が、20メートルほど積み重なっている。

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滝と駐車場を結ぶ遊歩道の脇を小川が流れる。水流に洗われて、塚原土石なだれが運んだ火山角礫岩が川底に露出している。

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駐車場の道路脇で、塚原土石なだれの堆積物の断面を観察することができる。赤く酸化した部分と還元状態の青い部分が、土石なだれの流下過程で複雑に入り混じった。

この地域の不思議な平坦面については、すでに、二度上峠からみた浅間山(2006年3月25日)で、写真つきで言及しました。

小瀬温泉付近の基盤地形と、表面をおおう新しい軽石



竜返の滝は、一枚の厚い溶岩流の上にかかる。湯川の谷の中に、この溶岩がつくった台地が南北1000メートル、東西300メートルに渡って続いている。この溶岩は浅間山より古いが、東側の鼻曲山をつくる第三紀の地層より新しいと思われる。




小瀬温泉料金所を出てすぐの道路脇には、浅間山から降り積もった軽石が厚く露出している。1783年軽石は基底まで露出している。その下に、クロボクを挟んで、1108年スコリアがある。この写真では崩れ落ちた土砂に埋まっているが、土砂を取り除けば、その基底まで観察することができる。そして、もう一度クロボクを挟んで、3世紀末のC軽石まで確認することができる。

石尊山三景

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石尊山は溶岩ドームだと考えられてきた。しかし、その地形を仔細に見ると、溶岩ドームとしては不自然に感じられる。小浅間山や離山は、一点からマグマが地表に現れて、周囲に崖錐を形成しつつ高くなった溶岩ドームの特徴をよく残しているが、石尊山はそうはみえない。北西に伸びる尾根をもち、南東部に不自然なかたちで足を伸ばす。

石尊山が占める位置は黒斑山の裾野の一部にあたると考えておかしくない。塚原土石なだれを発生させた山体崩壊のときに崩れ残った部分なのではないか。少なくとも、北西に伸びる尾根と南東の足は黒斑山の一部だとみるのがよい。石尊山のピーク自体は、黒斑山の寄生火山として生じた溶岩ドームだった可能性が残る。

南軽井沢交差点の流れ山



アウトレットから南に碓氷軽井沢インターチェンジに向かう道路が軽井沢バイパスを横切る交差点の名前は南軽井沢という。この交差点の南東隅にある諏訪神社は、塚原土石なだれの大きな流れ山の上に建立されている。この流れ山の比高は10メートル近くあるが、2万5000分の1地形図に等高線による表現はない。この交差点をこれまで何度も通ったが、きょう初めてこの流れ山に気づいた。

岩村田を越えた平原火砕流



南に進んだ平原火砕流は、佐久市瀬戸まで達した。山頂火口から17キロ離れたこの火砕流台地の末端崖は採土対象になっている。軽石礫はほとんど含まれず砂サイズ以下の粒子ばかりからなる。

小諸層群の上に重なる塚原土石なだれ



佐久市鳴瀬から見た千曲川の対岸の崖。小諸層群の上に塚原土石なだれの堆積物が重なっている。下位の小諸層群は砂層とシルト層からなり平行層理がみられる。上位の塚原土石なだれは層理がなくパッチワーク構造を示す。境界面は南東に傾いている。

色鮮やかなパッチワーク 岩村田の塚原土石なだれ



岩村田の天然記念物ヒカリゴケのそばに露出する塚原土石なだれの堆積物。元の火山体のいろいろな部分にあった地層が流れの過程で寄せ集まって、色とりどりのパッチワークをつくっている。

土石なだれ堆積物の上を覆う黄色い軽石の層は、平原火砕流堆積物から発生したラハールの堆積物だ。この地点は1万5800年前の平原火砕流噴火の直前に湯川によって洗われたから、2万4300年前の塚原土石なだれの浸食面の上にラハール堆積物が直接のっている。8500年の時間経過を示すローム層はここには挟まれていない。

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