風景に書き込まれた歴史を読み解く

The Story Behind the Scenery

戦場ヶ原の糠塚

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日光戦場ヶ原の中央にある糠塚(ぬかづか)は、国土地理院の地形図に比高5メートルほどの高まりとして表現されている。現地には環境省による説明板があって、「かつては前白根山につながる尾根だった」と書いてある。しかし、目の前の戦場ヶ原のどこにも高まりは認められない。

数十年前にここに高まりがあったのは事実かもしれない。しかしそれが前白根山につながる尾根が不十分に埋められたものだったかどうか、説明板が書くとおりに「昔の山のなごり」だったかどうかは、いまとなっては確かめられない。

ミズゴケが水分を含んで膨満していたなど湿原の表層部がつくった地形だったのではないか。糠塚をボーリングしたらすぐ前白根山の岩石に当たったとかの証拠がもしあるなら、私の説はすみやかに撤回する。


赤沼から泉門池に向かう自然研究路の脇に泥炭の断面が大きく露出していた。1500年前に榛名山から飛来した伊香保軽石(FP)が水面近くに、902年前に浅間山から飛来したBスコリア上部(BU)が断面なかほどに認められた。

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男体山の南山腹にある丸山(1368 m)は、そのサイズと傾斜から考えて溶岩ドームではなくスコリア丘だろう。小粒でなだらかだ。ブナの大木があったから、かなり古いだろう。

中禅寺湖に面した南側斜面に玄武岩の溶岩のかけらが露出していた。この地域に出る温泉は、地下に存在するだろうこの噴火がつくった割れ目を伝わって上昇してきているのだろうか。

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中禅寺湖の釣り人はみな湖の中に入り込んでいた。冷えるだろうのになぜ岸からしないのかと不思議に思って尋ねたら、フライフィッシングには背面に障害物がないことが必須なのだという。好きでやっていることとはいえ、難儀なことだ。

熊川の崖を調査しました

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2万4300年前から現在に至る浅間山の噴火の歴史を記録する崖の全景。ひとが見なかった過去は地層にのみ記録される。

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平安時代1108年に噴火したBスコリアの最上部がたいへんよく残っている(左)。貴重な崖だ。8月29日に噴出したBスコリア下部の上に追分火砕流から舞い上がったピンク火山灰が重なっている(右)。その上の黄土色火山灰の上部が浸食されている。ここに4週間の時間間隙がある。

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嬬恋軽石(YPk)と板鼻黄色軽石(YP)の間にはカラフル火山灰が挟まれている。噴火がなかったときを示すロームは挟まれていない。したがってYPとYPkは同じ噴火で噴出した。ただしカラフル火山灰の分布が丸いから、時間差は数年から数十年あったと思われる。東西南北の風が吹いた。

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嬬恋軽石(左)と板鼻黄色軽石(右)の接写。板鼻黄色軽石の下には、むらさき粘土を挟んで白糸軽石がある。しかし再堆積が著しくて、噴火情報のあらかたを失っている。時代が氷期だったことも関係するだろう。白糸軽石は結晶をほとんど含まず細かく発泡しているので、他の軽石から容易に区別することができる。

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塚原土石なだれの上に、ロームを挟まずに、板鼻褐色BP2軽石が直接重なる。黒斑山が崩壊したあとすぐ、プリニー式噴煙柱が立ち上がって噴火が始まった。セントへレンズ火山の1980年5月18日と同じことが、もっと大規模に浅間山で2万4300年前に起きた。

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熊川に大きな崖

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浅間牧場の東を流れる熊川に、自然にできた大きな崖があります。草軽電鉄路線跡沿いです。一番下に2万4300年前の塚原土石なだれがあります。中位に露出する厚い軽石は小浅間山から飛来した白糸軽石でしょう。1980年代に白糸の滝北に台風後に生じた大きな崖と同じくらい貴重な露頭だろうとみられます。

土曜日(5月15日)に調査します。同行希望者はメールまたはツイッターください。しっかりとした足回りと、ねじり鎌が必要です。

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