風景に書き込まれた歴史を読み解く

The Story Behind the Scenery

富士山の氷河

背景 前回の氷期が2万年前に底を打ったのは昔から知られていた。2万年前は北アルプスのいたるところに氷河があった。涸沢カールや槍ヶ岳ホルンだ。もし富士山がそのときいまの高さだったなら氷河があった。しかし2万年前の富士山は、いまほど高くなかった疑いがある。富士山の標高3000メートル以上の地表すべては、5600年前から2200年前までの度重なる噴火の結果としてできた若い地層であることがわかっている。

いっぽう、2万年前に古富士泥流が何回か麓まで流れ降ったことも昔から知られていた。富士山の上に氷河が乗っていて、その下から噴火したから氷を融かして大泥流になったのではないかと何人もが想像した。私自身は、1990年ころ、都留市で沸騰パイプをもつ泥流堆積物を見た。

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2万年前ころの氷期に富士山から発生して相模川を何回か下ったラハールの堆積物にも沸騰パイプが見られる。(都留市金井)

沸騰パイプは、地表に噴出したマグマの熱が氷を融かして泥流を発生させたと想像させる。しかし、これは間接的な証拠だ。富士山の上に氷河が乗っていた直接の証拠は知られていない。モレーンや迷子石などの堆積物やカールや羊背岩などの地形が直接の証拠になりうる。

馬の背の砂礫層 1707年噴火で富士山の横腹に開いた宝永火口の東縁にあたる馬の背に、淡色の砂礫層が現在の地表に沿って堆積していることに2016年10月26日に気づいた。これはモレーンではなかろうか。

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宝永火口の東縁(ドローン写真)。砂礫層の上に登山道が付けられている。

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宝永火口の東縁(地上写真その1)

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宝永火口の東縁(地上写真その2)。地表を真上から撮影。

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宝永火口の東縁(地上写真その3)

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宝永火口の西縁(ドローン写真)。薄いがこちら側にもあるようだ。

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地理院地図

この砂礫層は、1707年スコリアの下で、宝永火口壁に露出する溶岩の上にある。産総研の富士火山地質図(第2版、2016)によると、宝永火口壁に露出する溶岩は須走b期の噴出物だという。5000年前ころだ。しかし十二薬師岩のダイク(多数)に貫かれているから、もっと古いのではないかと私は疑う。5000年前から現在までの短期間に、これほどの枚数のダイクが貫く割れ目噴火がこの方角にあったのだろうか。

2万年前から現在まで このような歴史を描くことができる。前回氷期の底を打った2万年前、富士山頂と宝永山の間はいまと違ってやや窪んでいた。そこに氷河が涵養されて縁辺部にモレーンが堆積した。5600年前から山頂噴火が続いて、裾野が宝永山まで届く優美な円錐形がいったんつくられた。しかし2900年前に山頂火口の西半分を残して東側斜面が崩壊した。その土砂は御殿場土石なだれとなって麓に届いた。宝永山赤岩はその崩壊からかろうじて免れた。崩壊した部分はその後の噴火によって修復されて、2300年前にいまの姿になった。300年前に宝永山のそばから噴火して宝永火口が生じた。

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2万年前から現在に至る富士山の模式図。

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宝永山(赤岩)を手前に配して、宝永火口と富士山頂(ドローン写真)

解決すべきこと この砂礫層をモレーンだと考えることの難点は次である。
1)表層20センチを調べただけだが、泥が混じっていない。
2)石の色が同じで、発泡してない程度も同じだ。もしモレーンなら、いろんな色のいろんな発泡度の石が混じっているのが自然だ。
3)1メートルくらいの巨礫がひとつもない。
4)現在の地表に沿って堆積していることは、あまり古くないことを示唆する。

しかしモレーンでないとしたら、これはいったい何の堆積物だろうか。他のプロセス候補を挙げるのはむずかしい。

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