風景に書き込まれた歴史を読み解く

The Story Behind the Scenery

日光山志にみえる白根山1649年噴火

日光白根山が慶安二年(1649年)に噴火したと、日光山志が書いている。山頂にまつってあった石造りの神社が噴火によって穴の中に崩れ落ちたので、唐銅でつくりなおした。赤沼原(戦場ヶ原)に火山灰が二三尺余(60-90センチ)積もった、という。

絶頂に日光権現を祀れる社あり。ここにてハ白根権現と崇む。社は唐銅にて造れり。承応元年奉納の銘有。此山頂焼出せしハ、慶安二年のことなるに、震動日を経て不止。当山御座主命じ玉ひ、新宮拝殿にて、八講御修行、或は妙典を誦せさせ玉ひける。其時絶頂焼破れ、赤沼原辺ヘ、焼灰二三尺余積り、上州又ハ会津領へも降ける由、焼破れし所、二町許の岩穴となり、深さ何十丈ということをしらず。往昔より勧請ありし石宮も、此時窟中へ陥りけるゆえ、唐銅に造りて奉納すといふ。(日光山志 巻之四)


『日光山志』全五巻。植田孟縉の撰。天保四年(1832)十月の成立。日光山の歴史や故実、そして行事等を詳しく述べている。古くから伝えられる日光山の古記類は、秘記として伝えられていたので、日光山の住侶でさえも容易に見ることができなかった。撰者は、幸いにもある学匠の好意によって、秘籍の大意を説示されたので、それをもとに記録したものである。(神道大系 神社編31日光・二荒山 解題による)

承応元年 1652年
慶安二年 1649年
尺 30センチ
丈 3メートル
町 109メートル


1649.jpg

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