風景に書き込まれた歴史を読み解く

The Story Behind the Scenery

吾妻火砕流はどこまで到達したか

1783年8月4日午後に山頂火口から北に流れ下った吾妻火砕流がどこまで達したかを明らかにすることは、浅間北麓の防災のためにもっとも重要なことのひとつです。



濁沢の左岸に露出するこの溶結部が、きょう私が確認した最遠地点です。吾妻火砕流は、紀州鉄道軽井沢ホテルの手前で停止したようです。ホテル敷地は平坦ですから、追分火砕流の表面だとみられます。ホテルの山側にある別荘地は起伏に富んでいて、吾妻火砕流の表面のようです。

P1020454s.jpg

押切場は、古記録を読むとそこまで浅間押しがあったと書いてあります。吾妻火砕流の先端付近にあたると考えられます。長野原町の水源地は吾妻火砕流の先端から流れ出す水を使っているようです。

追分火砕流の堆積物はやわらかいため、その表面は平坦です。さらに900年間に堆積した厚さ9センチ程度レスに覆われているので、牧草地として利用されています。一方、200年前の吾妻火砕流の表面を覆うレスは2センチ程度しかありません。その上、溶結していますから地表に無視できない起伏があります。したがって、農地としての利用は困難で、別荘地として使われています。

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