風景に書き込まれた歴史を読み解く

The Story Behind the Scenery

何十年も高温だった平原火砕流堆積物

浅間北麓には、北に向かって平行して流れる複数の沢があります。その中で、濁沢だけが両岸に狭いながらも段丘をもっています。浅間開拓の集落はこの段丘の上に形成されています。追分火砕流が、平原火砕流台地の間を流れる狭い川をひょろひょろと3キロも流れてつくった地形です。

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濁沢の両岸に、平原火砕流の噴火の推移をよく示す断面があります。地図の502地点の最下部に平原火砕流が露出しています。その上によく成層した火山灰が30センチの厚さで積もっています。その上に嬬恋軽石が降り積もっています。これより上の層序は、対岸の501地点で観察できます。嬬恋軽石の上に成層した火山灰が再度、今度は150センチの厚さで、積もっています。さらにその上に、上流に堆積していた火砕流がおそらく水の作用で再び動き出して流れてきたと解釈される軽石質の土砂がのっています。

嬬恋軽石やその上に重なる火山灰層の一部分は、平原火砕流が残した高温堆積物から上がってきたガスによって赤く着色されています。

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平原火砕流の堆積物が高温状態を長期間継続したことを示す証拠は、ほかにもあります。火山灰の上をおおう再堆積物の中に、炭化した直径8センチの樹幹がみつかります。炭がここまで流れてきたのではないでしょう。炭はもろいですから、流れの中ではすぐにこわれてしまいます。生木の状態でここまでやってきて、高温で蒸し焼きになったのだと思われます。

したがって、平原火砕流が流れてから、その上に樹木が生えて、それが直径8センチになるまでの時間、おそらく10年から20年がたっても、平原火砕流はまだ高温で、ときおり爆発して下流に軽石質の土砂を供給していたのです。水が沸騰するくらい高温の泥流だったと思われます。したがって、この地域に堆積した平原火砕流の厚さは相当あると思われます。控えめに見積もっても50メートルはあるでしょう。


嬬恋軽石の上にのるここの軽石質堆積物は、軽石の濃集や砂質マトリクスの特徴から他の場所と同様にラハールの堆積物だと思いますが、炭はここで新発見です。平原火砕流の堆積物が10年から20年高温状態を保った証拠だとここでは考えましたが、高温のすぐそばで森林が成立したとするのはちょと苦しいかもしれません。もしかしたら炭は、ラハールの高温ではなく、この場所の地下にある平原火砕流の熱でできたのかもしれません。

小諸市の平原や南城公園では、平原火砕流の上に2センチのレスを挟んで軽石質ラハール堆積物が重なります。



2008.3.01追記

平原火砕流堆積物の中に含まれていた炭がラハールで流されてきたと解釈するのが、これまで獲得された多くの観察事実をうまく説明します。炭はもろいが軽いのでラハールの中で特別の挙動をするのではないかと期待されます。逆に、もろい炭をこわさないような性質の(特別の)ラハールだったと拘束条件をつけると考えてもよいでしょう。

南麓の馬瀬口にある二枚の平原火砕流

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