風景に書き込まれた歴史を読み解く

The Story Behind the Scenery

30年後の十和田湖

十和田湖は、私が博士論文を書いた火山である。足しげく通った当時から30年が経過したいま、ひさしぶりに訪れた。



八戸火砕流堆積物(L、1万5000年前)の中を貫くシルトダイク。下の八戸火山灰が地震に揺られて液状化したとみられる。ダイクの壁際が変色しているから、火砕流堆積物がまだ熱いときにダイクができたと見られる。この露頭は。30年前のままの状態でよく保存されていた。新郷村立野沢中学校入口。

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八戸火砕流と大不動火砕流(N、3万年前)の間に斜めに入る八戸火山灰。八戸火山灰の基底に1万5000年のタイムギャップがある。新郷村石ヶ森。十和田湖の東方にあたるこの地域は新しい地層の露出がよくて、火砕流の堆積物とその上に乗る軽石がよく見えて、30年前とても助けられた。原付バイクによる調査が能率的に進んだ。しかしいまは、当時の露出はほとんどなくなっていた。ここ石ヶ森だけ、かろうじて以前の露出のよさを保っている。左上に、中セリ軽石(C、6300年前)と南部軽石(E、9500年前)が載っている。

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迷ヶ平の栗山ケイセキの土砂採石現場でみられる大湯軽石(A、1100年前)、青バン(B、1900年前)、宇樽部火山灰(C)。宇樽部火山灰には火山豆石が多数含まれている。火山灰の堆積後、地表に湿原ができたようだ。真っ黒な泥炭が堆積している。宇樽部火山灰の直下の中セリ軽石はとても厚くて、250センチほどある。ピットが南部軽石(E)まで掘り込んでいた。


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瞰湖台を通る国道にはバイパスが付けられたため、旧道を通る車はほとんどいない。30年前にあった中セリ軽石の露頭はいまも健在だった。火口のすぐそばなので、直径50センチを超える火山弾が多数含まれている。

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瞰湖台から見下ろした中湖火口の定番写真。南部軽石の溶結部も健在だった。

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遊覧船に乗った。中セリ軽石(白色)は五色岩(赤色)の上に載っているが、御倉山溶岩ドームの広い緩斜面の上にはまったく載っていない。したがって、御倉山は中セリ軽石(6300年前)のあとに出現した。右の写真は湖上から見た瞰湖台。

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休屋に新しくつくられたビジターセンターには、十和田湖の立体模型が展示されていた。中湖が深いことがよくわかる。外湖から中湖に入り込む湖底谷は、6300年前の宇樽部火山灰噴火のときの湖水浸食によって形成された。

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奥入瀬渓流下部の黄瀬にあった八甲田火砕流(石ヶ戸凝灰岩)の直下のプリニー式軽石の露頭も健在だった。ただし石積みされて見にくくなっていた。

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八甲田田代平のガス穴。1997年7月12日、この穴の中に匍匐前進で入っていった自衛隊員3人が二酸化炭素中毒で死亡した。


より大きな地図で 十和田湖の火山調査計画2014 を表示

hugujo写真ツイートまとめ
十和田湖のフィールドガイド(30年前の調査に基づく)
十和田火山のテフラ層序表

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