風景に書き込まれた歴史を読み解く

The Story Behind the Scenery

天明三年黒岩のグーグルマップ


1783年8月2日頃から、高いプリニー式噴煙柱が山頂火口の上に維持された。そこからA軽石が南東に降った(地図中の楕円は厚さ50センチ)。同時に鬼押出し溶岩が北側に流れ下った。4日午後、吾妻火砕流が発生した。5日10時、鬼押出し溶岩の先端で爆発が起こって鎌原熱雲と土石なだれが発生した。土石なだれは吾妻川を下る過程で熱泥流に転化して、利根川に入り、江戸と銚子に達した。土石なだれと熱泥流が運んだ鬼押出し溶岩の大きな破片を黒岩と呼ぶ。赤丸で示した。南麓の沓掛泥流は8月4日に流れた。

death1783.png
村ごとの死者数。大笹村名主だった黒岩長左衛門の『浅間山焼荒一件』によると、翌天明四年七月、善光寺から受け取った経木を吾妻川の各村に死者の数ずつ配ったという。それを集計すると、1490人になる(萩原2.99-105)。これに軽井沢宿の死者2人を足して、合計1492人が天明三年噴火の死者数である。

赤 100- 
橙 30-99 
黄 10-29 
緑 1-9 
白 0 

原町と中ノ条町での死者はいない。利根川に合流する手前で死者が増える。川島村で123人、北牧村で53人。坂東橋より下流で死者はいない。


黒岩レイヤーを選択して赤丸をクリックすると写真が出ます。

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