風景に書き込まれた歴史を読み解く

The Story Behind the Scenery

鎌原観音堂はギリギリだった

鎌原土石なだれは、従来から知られている小熊沢だけでなく高羽根沢と小宿川も下って吾妻川に出ました。鎌原土石なだれは吾妻川に流入する2キロ手前から、山麓全体を覆って流れることをやめました。下松原開拓、向原などの台地を避けました。それらはキプカとして残りました。

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92人が駆け上って助かったとされる鎌原観音堂は下松原開拓の台地の一部です。ここが土石なだれに飲み込まれなかったのは偶然だったと言ってよいでしょう。観音堂が土石なだれの災厄から完全に逃れられる安全な場所だったとは言えません。観音堂に駆け上がれば命が助かると彼らが思ったとしても、結果がたまたまよかっただけです。もう少し流れの勢いが強ければ、観音堂も飲み込まれるところでした。

向原と鎌原が同じ平原火砕流からなる台地なのに、後者が襲われて前者が襲われなかったのは、台地の高さの違いによります。鎌原は向原より30メートルほど低い。1万5900年前の平原火砕流噴火の直後に、吾妻川そばの火砕流堆積物から二次爆発が頻繁に起こりました。鎌原の火砕流堆積物の表層はそのとき大きく浸食されて失われました。200年前に起こった鎌原村の悲劇は1万5900年前のつけがもたらしたものだったのです。

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