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風景に書き込まれた歴史を読み解く

The Story Behind the Scenery

追分キャベツを積み上げた石垣

軽井沢の別荘の石垣は、1108年の追分火砕流の中から掘り出されたパン皮岩塊をしばしば利用しています。



これは雲場池の近くの石垣です。見事な粒ぞろいです。浅間山の麓に展開する別荘地の石垣をつくるにまったくふさわしい資材です。火山学者は、このパン皮岩塊を追分キャベツと愛称しています。

追分火砕流の西端

追分火砕流の西端は東泉沢の右岸に一致すると思っていましたが、ところどころで、左岸の姥が原にあふれ出していることがわかりました。



この高さ1メートルの崖は、追分火砕流の側端崖です。右側のキャベツ畑の土はしっとり黒ですが、左側の段上の土は砂礫をたくさん含む灰色です。

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断面はこのように見えます。追分火砕流に特徴的な青黒色のパン皮スコリアがたくさん含まれていて、炭化木もみつかります。

湯の平から北に流れ下った追分火砕流



湯の平から北側に流れ下っているこの火砕流は、1108年の追分火砕流だと思います。

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追分火砕流の上につくられた大笹集落

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大笹は、追分火砕流が吾妻川の谷を埋めてつくた平坦面の上に形成された集落です。火山ガスが滞留してつくった赤・オレンジ・黄の水平模様は追分火砕流の特徴です。このような切ったばかりの追分火砕流の穴の中にはいると、硫黄の匂いがします。

穴の向こうの舗装道路は国道144号です。

追分火砕流の分布がよくわかってきました



追分火砕流は北軽井沢に広がったあと、地蔵川に流入しました。甘楽第一と甘楽第二は、それぞれキプカです。平原火砕流と塚原土石なだれの境界は、熊川に沿ってあります。地蔵川との合流点より下流に平原火砕流があるかどうかは、まだ調査していません。

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大前の南、小屋が沢と大堀沢の間に広がる台地は平原火砕流がつくったものですが、追分火砕流がこの台地の上を広がって流れたことがわかりました。畑の土が追分火砕流だし、台地の西端近くに追分火砕流の堆積物が連続してあります。追分火砕流は大前と大笹の集落がのる段丘をつくったのですから、考えてみれば、何筋かの沢の中を下っただけでは量が足りません。

溶結した追分火砕流を刻んだ峡谷



地蔵川にかかる甘楽の橋から、このような峡谷を観察することができます。平原火砕流の谷に流れ込んだ追分火砕流の堆積物を地蔵川が削り取りました。同様の地形を、胡桃沢川の1064メートル地点、二度上峠に向かう道が片蓋川を渡る地点でも見ることができます。

火砕流の流れ分け

吾妻火砕流が東西に流れ分けている事実は、それより先に鬼押出し溶岩が火口からもう流れ始めていたと考える強力な根拠となります。

同様のことを、追分火砕流についても考えています。追分火砕流は鎌原土石なだれの下にほとんどみつかりません。追分火砕流も、真北を避けて、東西に流れ分けたようにみえます。東に向かった流れは北軽井沢に、西へ向かった流れは大笹に達しましたが、その間に挟まれた鎌原や三原に追分火砕流はありません。平原火砕流や塚原土石なだれは、鎌原土石なだれの下にみつかります。追分火砕流が流れ下るとき、舞台溶岩が流下中で障壁になったのでしょうか。それとも、火山博物館のそばのいまは窪地になっている場所に小山があったのでしょうか。

鬼押出し溶岩の先端近くの藤原には、幅200メートル、長さ1200メートルの奇妙な曲がりくねった溝があります。追分火砕流の上に掘られているようです。

平原火砕流と塚原土石なだれは、北麓に一様に展開しています。行く手を障壁に阻まれたようにはみえません。

1783年噴火の直前の地形を知るためには、追分火砕流の分布を詳細に調べることが役に立つだろうと思われます。平安時代に追分火砕流が柳井沼を埋め立てなかった理由を解明する必要があります。

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追分火砕流は小屋が沢も下った

小屋が沢を自動車道が二本横切ります。そのどちらでも、追分火砕流の堆積物を見ることができます。



これは北側の横断道路です。追分火砕流は、右岸にこのようなはっきりとした段丘を残しています。

大前駅裏にある追分火砕流の堆積物は、大笹に流れ込んで吾妻川を下ったのではなく、小屋が沢を細く長く下ったと思われます。 【“追分火砕流は小屋が沢も下った”の続きを読む】

火砕流がつくった地形面

北軽井沢甘楽

北軽井沢甘楽 ←ここをクリックすると、地図上で位置を確認できます。
甘楽第一のキャベツ畑やトウモロコシ畑は、1万6000年前の平原火砕流がつくった台地の上にあります。1108年8月末、追分火砕流はそこを覆って流れることができず、東側の胡桃沢の谷に流れ込みました。平原面より一段低いここは牧草地になっています。採土のために掘られた大きな穴の壁で、追分火砕流の地層断面を観察することができます。
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